レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月13日
- 登録日時
- 2020/04/06 17:00
- 更新日時
- 2021/11/15 15:06
- 管理番号
- 2019-035
- 質問
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未解決
刑場の変遷について。
栃木刑務所は,少し離れた合戦場という場所に受刑者墓地を所有しているが,今は周囲が住宅地となっており,比較的広い敷地を有している。
なぜそのような場所に受刑者墓地があるか疑問に思い調べてみたところ,明治10年,市内の別の場所から合戦場に処刑場が移転した旨の資料や,明治12年頃実際に斬首が行われた旨の資料を見つけた。
明治15年の旧刑法の施行まで,死刑の方法として絞首と斬首の2種類があり,上記の資料に矛盾はないように思われる。
明治28年発刊の栃木県獄務提要には,栃木県監獄署における死刑執行(絞首刑)に関する内規が掲載されており,当時死刑執行は各府県の監獄で行われていたと思われる。
現在,死刑執行は全国7か所の拘置所又は拘置支所で行われているが,もし,明治期の刑場の場所やその後の刑場の変遷(集約化等)に関する記事があれば知りたい。
- 回答
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刑場の変遷や,現在,死刑が拘置所・拘置支所で執行されることとなった経緯などについてわかる資料はなかった。
明治44年刊行の『監獄法令累纂』にある明治41年司法省告示第51号「監獄ノ種類」では,各監獄の種類は「懲役監」「禁錮監」「拘留場」「拘置監」の4つで示されているが,刑場があったかはわからない。
「監獄法」に「死刑ノ執行ハ監獄内ノ刑場ニ於テ之ヲ為ス」と書かれているが,すべての監獄内に刑場があったかはわからない。
明治44年の『監獄統計年報』に「新受刑者ノ刑名刑期監獄別」の表があり,死刑受刑者の人数は,東京・名古屋・宮城・大阪・広島・長崎・函館の7か所の監獄にしか書かれていない。
遡って確認すると,明治39年の統計から死刑の人数が同じ7か所に掲載されていた。
明治38年以前の統計に,死刑の収容人数がわかる統計は掲載されていなかった。
統計書を明治44年以降も確認すれば,刑場のあった施設はわかるかもしれないが,その施設に設置するという根拠となる法令等が見つかる可能性は低いと思われる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 刑法.刑事法 (326)
- 日本史 (210)
- 参考資料
- キーワード
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- 死刑制度
- 日本--歴史--明治時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000280257