レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年08月07日
- 登録日時
- 2016/10/02 16:49
- 更新日時
- 2024/02/21 11:45
- 管理番号
- S-5087
- 質問
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解決
江戸時代の武家官位について。江戸時代の大岡越前の守などの「守」の位は、誰が任命したものなのか。幕府(将軍)なのか、それとも朝廷(天皇)なのか知りたい。
- 回答
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もともと「守」というのは、律令制時代の国司の長官の位(官職で朝廷が任命)である。中世、守護が置かれてからは国司の実権は失われ、戦国期には消滅した。しかし、制度としては名目的に存続し、戦国期には自ら名乗るものも現れた。
江戸時代には大名家の格式をあらわす官位として使用される。官位は朝廷から賜るものであったが、慶長11年4月、徳川家康が参内の折に、武家の官位(武家官位執奏権)は幕府の推挙なしに与えぬよう申し入れをした。その後、元和元年の『禁中並公家諸法度』第7条に、「武家の官位は公家当官のほかたるべきこと」(武家の官位はその職の定員外とする)と定めてからは、武家官位は幕府によるものとなり、封建社会における身分・栄誉の表示にすぎなくなった。(『国史大事典』の国司、駿府政権、大名の項による)
これについて詳しい本が以下と思われる。当館には所蔵がないため、近隣の所蔵館と相互貸借のご案内をした。
・『近世の国家・社会と天皇』(深谷克己,校倉書房,1991)→県図書、豊田
・『近世政治史と天皇』(藤田覚,吉川弘文館,1999)→岡崎
・「日本歴史」第577号→岡崎
- 回答プロセス
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①『国史大事典』ほか日本史の辞典類の索引で「守」を引く。
・『国史大事典』→「国司」の項に、平安~戦国にかけての国司の最上官が「守」の位となったこと、それらの領有面積などの記述あり。(p645)
・その他→×
②『徳川幕府事典』『大江戸おもしろ役人役職読本』を利用者に直接確認してもらう
→『徳川~』に、朝廷が任命していたが、慶長11年からは幕府の推挙が不可欠であったとの記述あり(p191)
③利用者の調べ及びネットでの調査により、「守」などの位を武家官位というとわかる。
④Wikipediaの「武家官位」の項に参考資料が多数あり。
⑤『国史大事典』の索引にて、「(武家)官位)」を確認
→「大名」および「駿府政権」の項に説明あり。
⑥④の参考資料の所蔵検索
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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国史大辞典 8. 国史大辞典編集委員会 編.吉川弘文館, 1987-10.(210.0/コ/8)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000103124-00 , ISBN 4642005080 -
国史大辞典 5.国史大辞典編集委員会 編. 吉川弘文館, 1985-02.(210.0/コ/5)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000103121-00 , ISBN 4642005056 -
徳川幕府事典. 竹内誠 編 , 竹内, 誠, 1933-.東京堂出版, 2003.(210.5/タ)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004205397-00 , ISBN 4490106211 - 大江戸おもしろ役人役職読本.東京 新人物往来社 歴史読本’91年1月増刊 (210.5/シ)
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国史大辞典 8. 国史大辞典編集委員会 編.吉川弘文館, 1987-10.(210.0/コ/8)
- キーワード
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- 一般書
- 守
- 武家
- 官位
- 徳川
- 国史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000197691