レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002年10月18日
- 登録日時
- 2013/08/06 16:09
- 更新日時
- 2021/01/10 00:30
- 管理番号
- PML20021018-02
- 質問
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解決
原稿用紙はなぜ400字詰めなのか?
- 回答
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はっきりとはわからず、あくまでも推測で諸説あるようですが、と下記の文献を提供。
松本八郎『エディトリアルデザイン事始』(朗文堂 1989年)
p.145-152 四百字詰原稿用紙の話
紀田順一郎『日本語発掘図鑑:ことばの年輪と変容』(ジャストシステム 1995年)
p.47-64 第三章 原稿用紙への愛着:営々とマス目を埋めた二〇〇年
p.58 「なぜ四〇〇字詰となったか」
p.278 主要参考文献
『世界大百科事典』(平凡社)「原稿用紙」の項には、
「その歴史は印刷の歴史と重なると考えられるが、由来は不確かである。」
「400字詰めが主流となったのは、明治末から大正にかけてといわれる。」
- 回答プロセス
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○自館OPACおよび紀伊國屋書店BookWebProの内容検索にて「原稿用紙」で検索
ヒットした中から所蔵資料を確認、400字詰めの由来について言及している本を提供
○原稿用紙のJIS規格をGoogleで検索
日本規格協会ライブラリー
原稿用紙のJIS規格(規格番号:JIS S 5508:1993)
未所蔵のため未確認
○http://www.indexo.co.jp/dendo/zatugaku_etc/trade.html に、400字詰め原稿用紙が出来るきっかけを作ったのが、尾崎紅葉で、間違って裁断した用紙を原稿用紙にするように依頼したのが起源、との記述あり。
○Tokyo Project -神楽坂-文士の面影:相馬屋を紹介 http://www.mxtv.co.jp/tokyoproject/database/oa/20020625.html
○Mainichi INTERACTIVE サンデー毎日 平成の日本人像 長妻靖和さん ㈱相馬屋源四郎商店社長:明治の中期に和半紙だった原稿用紙を尾崎紅葉の助言で用紙にして売り出したのが「相馬屋製」であり、これが大当たりした、との記述あり。ただし、400字詰めについては言及無し。
- 事前調査事項
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「サライ」1995年8月17号 特集:使いやすい原稿用紙を探す p.39~50
- NDC
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- その他の雑工業 (589 9版)
- 著作.編集 (021 9版)
- 参考資料
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松本八郎 著. エディトリアルデザイン事始 : 編集制作のための造本科学. 朗文堂, 1989.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002008340-00 , ISBN 4947613211 (S258-Ma81) -
紀田順一郎 著. 日本語発掘図鑑 : ことばの年輪と変容. ジャストシステム, 1995.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002521818-00 , ISBN 488309412X (S011-Ki12)
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松本八郎 著. エディトリアルデザイン事始 : 編集制作のための造本科学. 朗文堂, 1989.
- キーワード
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- 原稿用紙
- 筆記用紙
- 原稿用紙‐由来
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 当館学芸員
- 登録番号
- 1000135140