レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年09月13日
- 登録日時
- 2015/06/11 16:25
- 更新日時
- 2015/06/11 16:25
- 管理番号
- 福井県図20140913
- 質問
-
解決
広島原爆ドーム保存運動に関係した、楮山(かじやま)ひろ子に関する資料はあるか。
【事前調査事項】
『折り鶴の子どもたち』那須正幹/作,高田三郎/絵 PHP研究所 1984年刊 p296に“四月十四日に白血病で死亡した女子高校生、楮山ひろ子(十七歳)の日記の一説にあった、「ヒロシマをくり返さないために原爆ドームを後世に伝えて。」ということばに胸をうたれた会員たちのなかから、原爆ドーム保存のための募金と署名運動がはじまる。」の文章あり。
- 回答
-
・広島平和記念資料館のHPに「楮山ヒロ子さんの日記」の画像と本人画像などが掲載されている。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/build/A_dome2.html
・中国新聞のHPに、楮山ヒロ子さんの日記に胸を打たれて保存運動を展開した「折鶴の会」の河本一郎の記事あり。文末に参考文献があるが、当館が所蔵するのは内1冊(『「原爆爆心地」(志水清編)』のみで、その1冊には楮山ひろ子関連記述は無し。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20120427142617312_ja
・当館所蔵資料で記載が確認できたのは、事前調査資料の『折り鶴の子どもたち』と『ヒロシマの被爆建造物は語る』被爆建造物調査研究会/編 広島平和記念資料館 1996年刊(資料ID:1018097053)のみ。ただし、どちらも詳細な記述ではない。
『ヒロシマの被爆建造物は語る』p289の記載内容は以下の通り。
「被爆建造物の保存・継承が広島市の施策として位置づけられるまでには、おおくの先人たちの努力があった。「広島折鶴の会」が市にさきがけて原爆ドーム保存基金をはじめたきっかけには急性白血病で1960(昭和35)年4月に16歳で亡くなった楮山ヒロ子が残した悲しい日記があった。「あのいたいたしい原爆ドームだけが、いつまでも恐るべき原爆を世に伝えてくれるでしょう」
- 回答プロセス
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(1)自館OPAC、NDLサーチ、MagazinePlus、レファレンス協同データベース → なし
(2)日経テレコン、読売新聞データベース(昭和21.1.1-昭和55.12.31) → なし
(3)Web情報 → 「楮山ヒロ子」で多数ヒットするが、著書や評伝の類なし。
・広島平和記念資料館のサイトで、「楮山ヒロ子さんの日記」の画像と本人画像などが掲載されている。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/visit/est/build/A_dome2.html
・中国新聞のサイトで、楮山ヒロ子さんの日記に胸を打たれて保存運動を展開した「折鶴の会」の河本一郎の記事あり。文末に参考文献があるが、当館が所蔵するのは内1冊(『「原爆爆心地」(志水清編)』のみで、その1冊には楮山ひろ子関連記述は無し。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20120427142617312_ja
(4)広島原爆関係資料をブラウジング → 下記関係資料1冊ヒット。ただし、詳細な記述ではない。
『ヒロシマの被爆建造物は語る』被爆建造物調査研究会/編 広島平和記念資料館 1996年刊
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000175768