レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/01/30
- 登録日時
- 2015/02/14 00:30
- 更新日時
- 2015/02/14 00:30
- 管理番号
- 6001007016
- 質問
-
未解決
秋山多吉郎(アキヤマタキチロウ)、秋山庄兵衛(アキヤマショウベエ)、秋山高苔(アキヤマコウダイ)について載っている資料を見たい。大阪府立図書館所蔵の『大阪人物辞典』(三善貞司編)に載っているらしい。
- 回答
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大阪府立中之島図書館より、大阪府立中央図書館での調査結果とあわせて回答いたします。
(【 】内は、大阪府立図書館請求記号です。その後の(中)は中之島図書館の所蔵、(央)は中央図書館の所蔵。)
■秋山多吉郎について
『南北堀江誌』(蒲田利郎編纂 南北堀江誌刊行会 1929)【378/223/#】(中)
p.270 「(略)…そこでわが南北堀江の第七(堀江)第八(高臺)第九(日吉)の各聯合は聯合区会を設け、議員を選挙して、尋常小学校経費負担の方法を講ずることとした。」とあり、p.282に、第八(高臺)聯合の議員の名前の中に「秋山多吉郎」があります。
p.361 堀江の私塾(武術)一覧で「秋山道場」(塾主氏名 秋山多吉郎)の名前があります。
p.824 堀江の先賢・人物として、秋山多吉郎の名前があります。
「八聯合区々会議員・同学務委員として区政の革新を叫びし人。柔剣道の達人にして門人多く、現在は堺市に住み、大阪武徳殿の範士たり。」
この記述から、『堺市史 第8巻 索引・年表 編纂沿革』(清文堂出版 1977)【328/763/#】を調査してみましたが、秋山多吉郎の名前および大阪武徳殿の項目はありませんでした。
『昭和物故人名録』(日外アソシエーツ株式会社編集 日外アソシエーツ 1983.7)【354.1/1523/#】(中)
p.8 に秋山多吉郎の項目がありますが
「1845~1934.2.2 90歳。幕末・明治・大正時代の剣道家。生 徳島」のみです。
『百年の大阪 第1巻 幕末維新』(大阪読売新聞社編 浪速社 1967)【328/377/#】(中)
p.123-127「剣豪職員」
桃井春蔵について書かれた項目ですが、p.126-127に「武智半平太(土佐藩)を塾頭として、馬淵桃太郎(土佐藩、堺事件の箕浦の介錯人)、秋山多吉郎(土佐藩)など、のちの一流剣士がワンサと集まった。」とあります。
『大阪人物辞典』(三善貞司編 清文堂出版 2000.11)【281.6/53N/】 (央・中)p.1161
ご質問の三名についていずれも項目は設けられていませんでした。ただし、「秋山多吉郎」は「桃井春蔵」(p.1161)の項目に名前が出てきており、「『士学館』の人気は日増しに高まり、塾頭に武市半平太を迎え、馬淵桃太郎・秋山多吉郎といった剣豪も門人に加わる」との記述があります。
『図説 日本武道辞典』(笹間良彦著 柏書房 1982.11)(央)p.12
「鏡心明智流桃井春蔵直正に師事して塾頭となり」や「明治時代は剣劇興業・会社経営を行ない」などの記述があります。
『日本人名大事典1』(平凡社 1979.7)(央)p.39
「廃藩後、大阪に出て道場を開いて…」などと記載されています。
『武芸流派大事典』(綿谷雪編 東京コピイ出版部 1978)(央)p.225-226
「鏡心明智流」の項目に「秋山多吉郎」は弘化二年、桃井直則の長男として生まれ、明治七年、大阪で秋山庄兵衛の養子となり、その長男繁太郎から和歌山へ移住した」と書かれています。
『武芸流派100選』(綿谷雪[著] 秋田書店 1972)【789/2/】(央)p.64
『図説・古武道史(青蛙選書)』(綿谷雪著 青蛙房 1967)【789/W1/2】(央)p.205
「鏡心明智流」の系図に名前が記載されているのみです。
『日本武道大系 第10巻 武道の歴史』(同朋舎 1982)【789/8N/10】 (央)
p.89 「鏡心明智流」の系図に名前が記載されており、秋山多吉郎の下に、秋山仁悟、秋山八太郎、高橋赳太郎、坂口鎮雄、今井安太郎の名前が続いています。
『日本の剣豪 4 無明の憂国剣』(旺文社 1985.4)【351/2715/#】(央)
p.136-168 「桃井春蔵」中、
p.162「(略)慶応三年も暮れようとする十二月の末、直正はひそやかに大坂城を去った。高弟の秋山多吉郎等門弟数人がその前後を護ったという。」
p.166「(略)北桃谷町に「士学館」を再興したのはこのころと思われる。師範代には江戸以来の門弟である秋山多吉郎を据え、(以下略)」
p.167「直正の妻文子は(中略)明治十八年十一月五日に死んだ。一か月を過ぎた十二月六日の夜、六男の直貞や秋山多吉郎たち門人が集まって、傷心の直正を慰める会を催した。」
国立国会図書館デジタル配信で、下記の資料がご覧いただけます。
「鏡心明智流秋山多吉郎」加藤政一/著(『人物往来歴史読本』12(8) p.152-155)
4ページにわたって「秋山多吉郎」について書かれていますが、他の二名に関する記述はありません。
なお、複写に関しましては2通りの方法があります。
①国立国会図書館に直接申し込む。
②大阪府立中央図書館での複写を希望される場合は、「来館する」ことと「当館の登録利用者であること」が条件になります。Webや郵送の申込みならびに非登録者は利用できませんので予めご了承ください。なお、詳しくは、大阪府立中央図書館ホームページ「国立国会図書館デジタル化資料の図書館向け送信サービスの提供を開始しました。」をご覧ください。
■秋山庄兵衛について
『南北堀江誌』(蒲田利郎編纂 南北堀江誌刊行会 1929)【378/223/#】(中)
p.68 に「大阪商工銘家集」からの抜粋(翻刻)として
「藍玉賣捌所(薩州御用)支配人 南堀江二丁目 庄兵衛」とあります。
苗字がないので、ご質問の「秋山庄兵衛」かどうかは確認できませんが、
Wikipedia「秋山多吉郎」の項目に「西区南堀江上通の藍玉商家秋山庄兵衛と養子縁組し…」とあり、上記の情報にある住所と商売の内容が近いので、念のためお知らせいたします。
「大阪商工銘家集」は
『大阪経済史料集成 第11巻 新田開墾雑纂』(大阪経済史料集成刊行委員会編 大阪商工会議所 1977)【510/5509/#】(中)
p.543に影印があり、複写も可能です。
なお、藍取引については
『西区史 第2巻』(西区史刊行委員会[編] 清文堂出版 1979)【328/109/#】(中)
p.604-619 藍と藍取引
に詳しく書かれています。
■秋山高苔について
残念ながら、秋山高苔につきましては、文献を見つけることができませんでした。
■その他の資料
三人について、以下の資料も調査しましたが、回答となるような内容は見つかりませんでした。
『明治人名辞典 下巻』(古林亀治郎編輯 日本図書センター 1987/10)【354/157/#】(中)
『大阪の公人』(山本桃洲著 大阪の公人刊行事務所 1916)【351/463/#】(中)
『大阪新人大観』(升谷天惠著 大阪新人大観編纂局 1925)【351/1735/#】(中)
『大阪現代人名辞書』(文明社編纂 文明社 1913)【351/497/(2)#】(中)
『大阪財界人物史』(国勢協会 1925)【351/1807/#】(中)
『大阪商工名録』明治44年(大阪商工会議所)【354.1/5/#】(中)
『人事興信録』第3版~第10版(1911-1934)【354.1/29/#】(中)
『明治三十六年三月一日改電話番号簿(大阪商業大学商業史博物館資料集成)』(大阪商業大学商業史博物館編集 大阪商業大学商業史博物館 2012.3)【694.6/272N/(2)】(中)
『電話番號簿 明治45年5月1日改 大阪府(大阪市ヲ除ク)』(大阪遞信管理局 1912)【694.6/147N/】(中)
『日本紳士録』(交詢社)第9版(明治36年)~昭和10年【354.1/35/#】
『大阪府警察史 第1巻』(大阪府警察史編集委員会編集 大阪府警察本部 1970)【317.7/106N/1】(中)
雑誌『上方』第2号(1931)【雑468】(中) p.57-61 山川隆平「江戸時代大阪に於ける阿波藍商とその販売統制について」
『史料明治武道史』(渡辺一郎編 新人物往来社 1971)【789/40N】(央)
『武道の系譜』(南条範夫著 新人物往来社 1970)【351/2009#】(央)
『現代武道全書:別冊歴史読本70号』(新人物往来社 1994)【789/22N】(央)
『日本武芸小伝』(綿谷雪著 人物往来社 1961.11)【789/42N】(央)
[事例作成日:平成27年1月19日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 大阪人物辞典三善/貞司∥編清文堂出版 (p.1161)
- 図説 日本武道辞典笹間/良彦∥著柏書房 (p.12)
- 日本人名大事典1平凡社 (p.39)
- 武芸流派大事典綿谷/雪∥編東京コピイ出版部 (p.225-226)
- 武芸流派100選綿谷/雪∥[著]秋田書店 (p.64)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000167688