レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年06月25日
- 登録日時
- 2015/03/10 16:05
- 更新日時
- 2016/04/26 10:54
- 管理番号
- 県立長野-14-027
- 質問
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解決
高山村に改易された福島正則について調べている。武家諸法度の発令は、1615年、正則の改易が1616年である。「武家諸法度とは、江戸幕府が慶長16年(1611年)に武家から誓紙を取り付けた3ヶ条に、祟伝が起草した10カ条を付け加えたもの」との資料があるが、江戸幕府が慶長16年(1611年)に武家から誓紙を取り付けた3ヶ条の内容を知りたい。
- 回答
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「慶長16年に武家から誓紙を取り付けた3ヶ条」とは以下の資料に掲載のある慶長16年4月12日付けの3ヶ条のことと思われる。
1 『徳川禁令考 第1帙』吉川弘文館 1931[322.1/51/1]p92
この資料のp90~92には、慶長20年7月の「武家諸法度」が収録されており、それに続けて、「是ヨリ前慶長十六年四月十二日二条城ニ於テ諸大名誓詞ノ条目三箇条アリ」(後略)として、上記慶長16年4月12日付けの条文が記されている。
またインターネット上で、国立国会図書館のホームページからこの頁のデジタル資料を閲覧することが可能。
国会図書館ホ-ムページ→近代デジタルライブラリー→徳川禁令考を入力→徳川禁令考 第1帙を選択すると以下の頁がでる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787011のアドレスで『徳川禁令考』の表題紙がでるので、表題紙上部のコマ番号と書かれた部分を75とすると上記のp92の画面に至る。頁上部の「印刷する」ボタンを押して指示に従うと画面を印刷することも可能。
2 『大日本史料 第12編之8 後水尾天皇 慶長16年3~10月』
東京大学史料編纂所編 東京大学出版会 1996(原発行・東京帝国大学編・刊 1906)[210.08/トウ/12-8]
p152~153に上記1の資料と同日付けの3ヶ条が記されており、p152~156には上記1の資料では掲載が省略されている細川忠興以下20名余の大名の連署がある。
この中には安芸少将(福島)正則の名もあり。
この資料はインターネット上で、東京大学史料編纂所のホームページからこの頁のデジタル資料を閲覧することが可能。
東京大学史料編纂所→データベース検索→データベース選択画面→大日本史料総合データベース→対象を全選択とし、和暦に慶長16年4月12日~慶長16年4月12日と入力し検索すると以下の頁に至る。
http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller
ヒットしたうちの家康法令3カ条で始まる文書の画の欄の「刊」のボタンをクリック→イメージ画面の左端に数字が並ぶので、この数字のうちの152から156をそれぞれクリックし、ファイルを開いていくと、上記資料のp152~156をみることができる。画面を印刷することも可能。
なお『国史大辞典 12 ふーほ』吉川弘文館 1991[210.03/コク/12]p109の「武家諸法度」の項には、「家康が慶長十六年(1611)後水尾天皇即位礼を機会に諸大名から徴した誓紙や(中略)文禄四年(1595)豊臣秀吉の諸大名への掟などに共通する文言もある」との記載がある。
- 回答プロセス
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①『国史大辞典 12 ふーほ』p109の「武家諸法度」の項をみる。解説の内容を確認。回答欄の記述あり。質問者の記した祟伝に関わる10カ条については確認できないため、誓詞の3ヶ条の本文を紹介することとし、収録資料を探すこととする。同辞典の参考文献の欄には『徳川禁令考』前集1と記載あり。
②当館の『徳川禁令考 第1帙』で、慶長20年7月の「武家諸法度」の本文をp90~92にて確認。大名誓詞の3ヶ条はp92に記載あり、これを紹介。。
③大名誓詞の3ヶ条の日付は慶長16年4月12日のため、『大日本史料 第12編之8 後水尾天皇 慶長16年3~10月』で同日付けの3ヶ条を確認。大名の連署もあり、安芸少将(福島)正則の名もあることを確認。この資料を紹介。
④『徳川実紀 第1巻』も確認し、p535には諸大名から誓詞を奉らせた記事があるが、祟伝に関わる記述はなく、質問のこの部分は確認できず。
⑤ ②の資料は国会図書館HPから、③の資料は東大史料編纂所HPからの閲覧方法を紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 法制史 (322)
- 参考資料
- キーワード
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- 武家諸法度
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000168844