レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/02/06
- 登録日時
- 2013/03/12 11:24
- 更新日時
- 2013/06/11 16:25
- 管理番号
- 埼熊-2012-270
- 質問
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解決
熊谷出身の人物・白川ケンジロウ(漢字表記は健次郎かもしれない)について書かれた資料を見たい。どんなものでもよい。
白川ケンジロウは『西郷隆盛』(海音寺潮五郎)、『生麦事件』(吉村昭)に出てくる。ベルギーのモンブラン伯爵とも親交があった。また、訪欧した五代友厚と寺島宗則がヨーロッパでこの人物に会っている。
- 回答
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白川ケンジロウについて記載のある以下の資料を紹介した。
なお、この人物には「白川健次郎」「白川健二郎」「斎藤健次郎」「斉藤健二郎」「ジェラール・ケン」など、多くの呼称・漢字表記があり、紹介した文献でも表記は様々である。人名辞典類を調査
『熊谷人物事典』(日下部朝一郎編著 国書刊行会 1982)
p165〈斉藤健二郎(さいとうけんじろう)〉の項あり。
「外人秘書。江戸末期文久元年頃の人。別名ジェラルド健。熊谷宿の医家斉藤某の二男に生まれ、フランス人モンブラン伯爵の秘書をつとめたが、のち鹿児島にて殺害された。」
『日本近現代人名辞典』(臼井勝美 吉川弘文館 2001)
p1077〈モンブラン〉の項に、「文久元年(一八六一)に一旅行者として来日し、数ヶ月の滞在ののち、雇人斉藤健次郎を伴って帰国した。」とあり。当時の手記・書簡で白川ケンジロウの記述が見られるもの、およびその引用のある資料
(図書)
『日本思想大系 66 西洋見聞集』(家永三郎〔ほか〕編集 岩波書店 1974)
「仏英行」(柴田日向守著)所収。
p296 1-3行目に「御府内近郊の医師斎藤賢次と申者にて」とあり。
p296欄外に注〈斎藤賢次〉あり。「斎藤賢次郎。武蔵国熊谷在の出身。フランス人モンブランに雇われ渡仏。ジェラルド・ケンと通称」とあり。
『遣外使節日記纂輯 3 日本史籍協会叢書 98』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1987)
p420-421 斎藤健二郎が訪ねてきたくだりあり。この文章は、雑誌『社会志林』(宮永孝著「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」)に引用されている。
『五代友厚伝』(宮本又次著 有斐閣 1981)
巻末索引〈白川健次郎(斎藤健次郎)〉あり。
p45「そして7月初旬[巻末年表より 1865年/慶応元年]に当時イギリスにいた白川健次郎なるものが、ベルギー人コント・デ・カントン・ドゥ・モンブランをフランスから伴って来て、五代と新納とに紹介した。」
p53「モンブランは横浜と江戸にしばらく滞在していたが、その間に熊谷在住の斎藤健次郎なる一青年と相識り、パリにくることをすすめ、健次郎をしたがえて帰国した。(略)斎藤健次郎はジラール・ケンと称し、その主人の名前をもじって「白川」の姓にあらため、白川健次郎と名乗っていた。」「しかしいかがわしい所もあり(「薩藩海軍史」中巻 901-903頁)」とあり。
『五代友厚伝記資料 4 政治・外交・雑纂・年譜』(日本経営史研究所編 東洋経済新報社 1974)
「廻国日記」p35「水曜日・終日他出なし。モンブラン来会して、整財一条、種々談判をなす。ロニー来て、諸空話を為す。白川某(斎藤健二郎)、幕吏肥田(浜五郎)に面話す。」とあり。
「仏国中諸出入書(慶応元年)」に、白河健次郎の名が複数確認できる。
『薩摩藩英国留学生 中公新書』(犬塚孝明著 中央公論社 1974)
p86-87イギリスに留学していた薩摩藩人のもとをロニーと斎藤健次郎訪ねてきた。斎藤の別名は白川健次郎。 「氏素性のはっきりしない、かなりいい加減な人物であったようである。本人は、武州熊谷の在とも、佐竹家中の出とも自称していたが、実際の出所は不明であった。」とあり。「畠山日記」、森有礼、五代友厚の書簡等の引用あり。
『明治の若き群像森有礼旧蔵アルバム』(犬塚孝明著 平凡社 2006)
p31に〈斉藤健次郎〉の写真あり。「モンブラン伯爵が文久元年に来日した際、横浜で従僕として雇われて渡仏。」とあり。
p32に〈斉藤健次郎〉に関するエピソードあり。
p273 巻末索引に〈斉藤健次郎〉の項あり。「変名 白川、ジェラール・ケン」「生没年不詳」とあり。
『若き森有礼 東と西の狭間で』(犬塚孝明著 KTS鹿児島テレビ 1983)
p58-60 斉藤健次郎についての記述と肖像あり。森有礼が斉藤健次郎について触れた書簡の抜粋あり。
『新修森有禮全集 3』(文泉堂書店 1998)
p46 上記書簡(森有礼が斉藤健次郎に触れた)の全文あり。
『新修森有禮全集 4』(文泉堂書店 1999)
「『薩摩海軍史』(中巻)抄」収録。
p11-12「白川は當時斉藤と稱へしか、前年「モンブラン」か日本に来り横濱に滞在せし際に従僕に雇ひ連れ行きし者にて、別に志望ありし人物にあらす、薩人側にて幕府に通せしやの嫌疑を受けしも、或いは同人を買い被りしにあらんかと語られぬ」と斉藤健二郎に関する記述あり
『そこに日本人がいた! 海を渡ったご先祖様たち』(熊田忠雄著 新潮社 2007)
p163-「フランス/パリ(その一)幕末のパリに現れた日本人青年「ケン」」の章あり。
『功名を欲せず 起業家・五代友厚の生涯』(渡部修著 毎日コミュニケーションズ 1991)
p117「またロンドンでは、(中略)才助らを訪ねて、白川健次郎と名乗る男が一人のベルギー人をともなってフランスからやってきたのである」とあり。
p118「(モンブラン伯は)横浜と江戸にしばらく滞在したが、その間熊谷在の斎藤健次郎と知り合い、彼をともなって帰国する。その後モンブランは自らを「白山伯」、斎藤もならって「白川」と名乗るようになる。」とあり。
p119「才助らは白川の通訳でモンブランと会談を重ねたが、」とあり。
『維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ』(鈴木明著 小学館 1988)
p215-「第八章巴黎斯サイトー・ケンの登場」の章あり。(雑誌)
宮永孝著「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」(『社会志林 47巻2号』法政大学社会学部学会 2000)
《法政大学学術機関リポジトリ》で全文閲覧可能。(http://repo.lib.hosei.ac.jp/handle/10114/6126 法政大学 2013/2/28最終確認)
p177「ともあれモンブランは、1862年(文久2年)横浜から帰国の途につくとき、斎藤健次郎(私設秘書、"白川健次郎"とか"ジラール・ド・ケン"ともいう)なる者を秘かにともない、フランスに連れ帰った。」
p139-143〈斎藤健次郎〉について記述あり。
「じぶんの出自や経歴について、ずいぶんいいかげんな事を言っていたようだ。」「斎藤は三宅にじぶんは「武蔵国熊ヶ谷在の福田という医師のせがれ」である、と語ったようである。」「幕府側に薩摩人の秘密をもらした疑いで殺されたようである。」
上記以外にも全体的に斎藤健次郎について多くの記述が引用と共にあり。
『日本歴史 255』(吉川弘文館 1969) p120「モンブラン伯」の章に〈斎藤健二郎〉の記述あり。
『参考書誌研究 15』(国立国会図書館参考書誌部 国立国会図書館 1977.10)
「畠山日記」所収。p12「才藤健次郎」とあり。小説を調査
『西郷隆盛 7』(海音寺潮五郎著 朝日新聞社 1978)
p87「武州熊谷の出身者で、ヨーロッパに来ていた白川健次郎という者が、フランス人ロニーを連れてきた。」とあり。
p89「白川は日本からモンブランが従僕として連れてきた男であるという説もある。」とあり。
『歴史読本 2004年4月号』(新人物往来社)
p262-279 佐江修一著「士魂商才 五代友厚」に斎藤健次郎の名が出てくる。
- 回答プロセス
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その他調査した資料は以下のとおり。
『尾佐竹猛著作集 14 維新史』(尾佐竹猛〔著〕 ゆまに書房 2006)
『五代友厚』(小寺正三著 新人物往来社 1973)
『五代友厚伝記資料 1-3』(日本経営史研究所編 東洋経済新報社 1971-1972)
『寺島宗則 日本電気通信の父』(高橋善七編 国書刊行会 1989)
『寺島宗則 人物叢書 新装版 201』(犬塚孝明著 吉川弘文館 1990)
『熊谷の先覚者』(第22回国民体育大会熊谷市実行委員会 1967)
『北埼を彩る人物群像 彩の国歴史探究』(北埼歴史研究会 1996)
『北武蔵人物散歩』(大井荘次著 まつやま書房 2008)
『焔の人・しみづうさぶらうの生涯 自伝"わがよのき上"解題』(長井五郎著 さきたま出版会 1984)
『大阪をつくった男 五代友厚の生涯』(阿部牧郎著 文藝春秋 1998)p221 白川健次郎は秋田藩士となっている(小説のため、参考情報)。
『生麦事件』(吉村昭著 新潮社 1998)小説。索引・目次なし。p372以降を確認するが「白川健次郎」に関する記述は見当たらない。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『熊谷人物事典』(日下部朝一郎編著 国書刊行会 1982)
- 『日本近現代人名辞典』(臼井勝美ほか編 吉川弘文館 2001)
- 『日本思想大系 66 西洋見聞集』(家永三郎〔ほか〕編 岩波書店 1974)
- 『遣外使節日記纂輯 3 日本史籍協会叢書』(日本史籍協会編 東京大学出版会 1987)
- 『五代友厚伝』(宮本又次著 有斐閣 1981)
- 『五代友厚伝記資料 4 政治・外交・雑纂・年譜』(日本経営史研究所編 東洋経済新報社 1974)
- 『薩摩藩英国留学生 中公新書』(犬塚孝明著 中央公論社 1974)
- 『明治の若き群像森有礼旧蔵アルバム』(犬塚孝明著 平凡社 2006)
- 『若き森有礼 東と西の狭間で』(犬塚孝明著 KTS鹿児島テレビ 1983)
- 『新修森有禮全集 3、4』(文泉堂書店 1998、1999)
- 『そこに日本人がいた! 海を渡ったご先祖様たち』(熊田忠雄著 新潮社 2007)
- 『功名を欲せず 起業家・五代友厚の生涯』(渡部修著 毎日コミュニケーションズ 1991)
- 『維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ』(鈴木明著 小学館 1988)
- 『社会志林 47巻2号』法政大学社会学部学会 2000)
- 『日本歴史 255』(吉川弘文館 1969)
- 『参考書誌研究 15』(国立国会図書館参考書誌部 国立国会図書館 1977)
- 『西郷隆盛 7』(海音寺潮五郎著 朝日新聞社 1978)
- 『歴史読本 2004年4月号』(新人物往来社)
- キーワード
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- 斉藤 健二郎(サイトウ ケンジロウ)
- 白川 健二郎(シラカワ ケンジロウ)
- 熊谷市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000128746