レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年06月11日
- 登録日時
- 2016/02/05 12:29
- 更新日時
- 2016/05/11 16:45
- 管理番号
- 埼久-2015-129
- 質問
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解決
『大武鑑 中巻』(橋本博編 改訂増補 名著刊行会 1965) のp865「大岡主膳正」の項に「辱ノ口北角(二丁)」の記述があった。「辱ノ口」の読みが知りたい。地名であれば場所も特定したい。
- 回答
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『大武鑑』を確認すると「辱ノ口」となっていたが、「辰ノ口」の誤りではないかと思われる。「辰ノ口」「龍の口」について記述のあった以下の資料を紹介した。
『岩槻市史 通史編』(岩槻市 1985)
p475 大岡忠固(忠正の弟、6代目)が「江戸城龍の口から馬に乗り、以下略」とあり。
p489 江戸屋敷について、「上屋敷 辰ノ口 拝領弘化二年六月六日 上地嘉永五年七月二十三日 坪数不詳」とあり。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1979)
p460「たつのくち 龍の口〈千代田区〉 [近世]江戸期の俗称地名。「江府名勝志」に「和田倉御門外也、御堀の余水の流也」とある。余水を落とす石製の吐水口を「龍の口」と称し、のちに付近一帯の俗称となった。江戸期には勅使を泊める伝奏屋敷、訴訟の裁定を下す評定所があった。現行の丸の内1丁目のうち」とあり。
『江戸東京地名事典』(本間信治著 新人物往来社 1994)
p153「たつのくち 龍の口」説明中に「北方から東へかけて、武蔵岩槻藩大岡主膳正(2.3万石)、播磨姫路藩酒井雅楽頭(15万石)中屋敷、小普請方、御作事方などの屋敷があり」とあり。
- 回答プロセス
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『大武鑑』の出典に「大岡主膳正(中略)居城武州岩槻」とあったことから岩槻市史を調査した。
その他調査済み資料
『江戸城下変遷絵図集 別巻 1、2』(原書房 1988)
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 『岩槻市史 通史編』(岩槻市 1985)
- 『角川日本地名大辞典 13 東京都』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1979) , ISBN 9784040011301
- 『江戸東京地名事典』(本間信治著 新人物往来社 1994) , ISBN 9784404020666
- キーワード
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- 東京都-地名
- 岩槻藩
- 大岡主膳正
- 辰ノ口
- 辱ノ口
- 龍の口
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000187883