レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/06/24
- 登録日時
- 2015/07/09 00:30
- 更新日時
- 2021/02/24 10:09
- 管理番号
- 6000022781
- 質問
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解決
「待兼山」の名前の由来を知りたい。
- 回答
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『新修豊中市史 第七巻 民俗』(豊中市)には「待兼山は、菅原道真が流罪になったとき、ここで船を「まちかねた」ことから名付けられたとも、戦国時代、敵を「まちかねた」場所であることから名付けられたとも言われている。」とある。
また『大阪名所むかし案内 絵とき「摂津名所図絵」』(創元社)には「昔、玉坂村というところに美しい女がいて、恋い慕う男が毎夜山を越えてかよい、人目をしのぶ仲になった。ある夜、男が女の心を疑い、かくれてうかがっていると、女は夜になっても男が来ないのを悲しみ、歌を詠んだ。待ちくれてうつつに見えし面影の 夢もつれなき山風の音 男はひそかにそれを聞いた。二人の思いはさらに深くなり、人目もかまわず逢瀬をくりかえして世の人にあざけられ、ついにふもとの川に身を投げてしまった。以来、その川は待兼川と呼ばれている。待兼山の名も同じ話が由来になった。」とある。
『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治著)にも「待兼山の悲恋」として永和のころ(十四世紀後半)の同様の物語が取り上げられている。
なお、『新修豊中市史 第七巻 民俗』p251-252「待難山」(まちつれやま)には、「待暮て現に見へし面影の夢もつれなき山風の音」という和歌に関する『摂陽群談』の逸話について、待難山・待難川の逸話として記載があり、この待難山が実際にどの山であるかはわからないとしている。(2021.2.24追記)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『豊中の伝説と昔話』鹿島 友治/著 鹿島 友治 (p.3-4)
- 『大阪名所むかし案内』本渡 章/著 創元社 (p.227)
- 『新修 豊中市史 第7巻』豊中市史編さん委員会/編集 豊中市 (p.250-251)
- キーワード
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- 待兼山(マチカネヤマ)
- 由来
- 豊中市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000176985