レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20180711
- 登録日時
- 2020/03/13 00:30
- 更新日時
- 2020/09/03 13:25
- 管理番号
- 0400001905
- 質問
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解決
上田友助(友助は友輔とも表記)の号が汪斎だと書かれている資料を知りたい。
- 回答
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①『幕末維新人名事典』(新人物往来社 1994)
p153 上田友助(1817?~?)幕臣。120俵。1863年新潟奉行支配並役として出仕。1858年外国奉行支配定役に進み,1862年竹内下野守らの遣欧使節に定役元締として随行。さらに1863年元締,1868年遊撃隊勤めとなる。乙骨亘の養父で詩人上田敏の祖父。
②『海を越えた日本人名事典』新訂増補(日外アソシエーツ 2005)
p142 上田友輔(うえだ・ともすけ)生没年不詳 幕臣 幕府定役元締 フランスに渡航:1862年幕府定役元締として随行。
③『定本上田敏全集』第5巻(上田 敏/著 教育出版センター 1979)
付属の月報2の「乙骨太郎乙」嘉治隆一(人物万華鏡より)に「上田敏は明治七年十月三十日、東京築地に生れ、大正五年七月九日、白金三光町で急逝した。祖父友助(または東作、雅号は汪斉)は幕末の外交官で,早く遣外使節の一人として渡欧し,後に新潟開港事務を主宰した人物である,とあり。
④『定本上田敏全集』第10巻(上田 敏著 教育出版センター 1981)
p572 上田敏の年譜,三十八歳の時に祖父東作の略歴あり。
p690 補注の年譜に 「改造社版全集の「上田敏年譜」を本文として校訂,編集者の気づいた點を「補注」としてつけ加えた。」とある。
⑤国立国会図書館デジタル資料より,『上田敏全集』補巻(改造社 1931)338,367コマを確認。
年譜に関しては367コマに嘉治隆一,(上田敏の娘)瑠璃子夫妻を煩わし,と記述あり。
(国立国会図書館デジタル資料 確認2019/11/11)
⑥『市史にいがた』第8号(新潟市 1991)
p22-30 「幕末遣欧使節随員上田東作と新潟」
*『新日本古典文学大系』明治編10(岩波書店 2011)
「福沢諭吉集」における上田友助が汪斎である典拠は不明。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 上田友助 友輔 汪斎 川村修就 東作
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 一般利用者
- 登録番号
- 1000275830