レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年3月4日
- 登録日時
- 2017/03/02 11:43
- 更新日時
- 2022/02/15 09:42
- 管理番号
- 県立長野-16-076
- 質問
-
未解決
『保科誌』 保科誌刊行会編纂委員会編 保科誌刊行会 2016 【N212/553】p.289に書かれている延命寺の記述は、
久保保正の子保國が開基となり、保正が自ら戒律を得て法名を伯宗と号して延命寺を開山。保國の
弟右京大夫保之は豊臣秀次に仕え、文禄4年(1595年)秀次の自害の際、殉死した。保正は延命寺
に保之の菩提を弔った。
とある。一方、『長野市誌8巻』長野市誌編さん委員会編 長野市 1997 【N212/318/8】p.942の記述は、
久保伯耆守保正の嫡子、保国は秀次の家臣になっていたが文禄4年秀次のあとを追って自刃した。
保正は保国の菩提を弔うため延命寺を創建した。
となっており、異なっている。『信濃宝鑑 中』 渡辺市太郎編 歴史図書社 1974 図版は明治年間の複製【N290.2/33a/2】にも『長野市誌8巻』と同様の記述があり、これには保国は但馬守だったと記述がある。どちらが正しいのか知りたい。
- 回答
-
「延命寺」「保科村」「久保保正」「久保保國(久保保国)」「久保保之」「豊臣秀次」などのキーワードから調査したが、どちらが正しいかはわからない。また、『保科誌』の該当箇所には特に典拠史料の記載がない。
当館所蔵資料による調査でも確認できなかった。また、仮に一次資料が確認できたとしても、党館では史料の正誤は判断できない。
以下、調査した資料を紹介。
・『長野県町村誌 北信篇』
長野県編 明治文献 1973(長野県町村誌刊行会 1936年発行の復刻版) 【N290/33a/1】
保科村p.690-692のうちp.692「延命寺」の項に「久保保正其子左京大夫保國と共に、諏訪郡長久
保より来り、字引澤に住す。保科七騎の一なり。弘治、永禄中保科氏と共に武田に降り、後保國豊
臣秀吉に仕へ、秀次自刃の時殉死す(四十三)家傳の一刀を父保正に送る。保正其子保國の為に當
寺を開基す。」と記載あり。
・『保科氏800年史』 牧野登著 歴史調査研究所 1991 【N288/148】
p.74「保科村七騎」に久保但馬の記載あり。久保但馬保正の子保國は後に豊臣秀吉に仕え、秀次
自刃の時に殉死したと伝えられていると記載あり。
・『上高井誌 歴史編』 上高井誌編纂会編 上高井教育会 1962 【N214/18/2】
郡内寺院成立年表のうちp.882「延命寺」は「浄土宗 若穂町滝崎 文禄四年七月 保正開基」と
記載あるのみ。
・『長野県上高井郡誌』 上高井郡教育会編纂 千秋社 1999 【N214/89】
寺院一覧p.529延命寺の由緒につき、創立年月不詳開山伯宗とあり。
・『日本歴史地名大系20 長野県の地名』 平凡社 1979 【N290.3/54】
p.865-「若穂地区」p.868-「保科村(長野市若穂保科)「延命寺」
・『若穂の自然と文化;公民館報「わかほ」掲載記事から』
若穂の文化地図冊子化実行委員会編 長野市立若穂公民館 2008 【N212/440】
・『若穂の文化財』 若穂文化財調査委員会編 若穂公民館 1983 【N709/83】
p.119に延命寺は久保保正開基、嫡子保国のため創立したとあり。
・『新編信濃史料叢書 第2巻』 信濃史料刊行会編 信濃史料刊行会 1972 【N208/43/2】
「保科御事歴」p.274「久保但馬殿」という記載確認。
・『愛知県史 資料編13』 愛知県史編さん委員会編 愛知県 2011 【215.5/アイ/2-13】
p.483-556「秀次事件」
「編年資料」p.496-497に秀次切腹の際殉死をした者の氏名の掲載があるが、久保保國および保之
は確認できず。氏名の掲載があるもののほかに、「此外小身之方々十人余も御座候、」という記
載あり。
・『豊臣秀次』 藤田恒春著 吉川弘文館 (人物叢書 新装版)【289.1/トヒ】
p.186-187「表10 秀次事件に連座した人々のその後」あり、この表に久保氏の記載なし。
- 回答プロセス
-
1 該当の郷土誌を調査。
2 延命寺は浄土宗なので浄土宗の寺院を調査。
3 久保氏について調査。
4 豊臣秀頼事件で殉死した人物を調査。
<調査資料>
・『探訪・信州の古寺 第2巻』 郷土出版社 1996【N180/72/2】
浄土宗の寺院に延命寺の記載なし。
・『若穂町要覧 昭和37年版』 若穂町編 若穂町 1962 【N351.4/10】
寺は「清水寺」のみ掲載あり
・『角川日本姓氏歴史人物大辞典 20 長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店 1996【N288/158】
・『角川日本地名大辞典20長野県』 角川日本地名大辞典編纂委員会編 角川書店 【N203/18】
・県立歴史館 「信濃史料データベース」【最終確認2022.2.8】
「久保保正」「延命寺」「久保保國」「久保保国」「保正」ヒットなし
1595年-1598年の年表をみたが、該当の記述は確認できなかった。
・『豊臣政権の権力構造』 堀越祐一著 吉川弘文館 2016 【210.48/ホユ】
・『新編信濃史料叢書』 第15~18巻
信濃史料刊行会編 信濃史料刊行会 1977~1978 【N208/43/15-18】
保科村は後、松代藩の領知になるので寺院についての記載があるか目次を確認したが、該当の
記載は確認できなかった。
・『寛政重修諸家譜 第16』 続群書類従完成会 1981 【288.2/タミ/16】
・『寛政重修諸家譜 第20』 続群書類従完成会 1981 【288.2/タミ/20】
上記2冊「久保」の項の記載は該当しない。
・『近世武家官位の研究』 橋本政宣編 続群書類従完成会 1999 【210.5/ハマ】
p.405-483「武家之官位」(叙任日付・氏名・位階・官名等が記載された表)当館所蔵のこの
資料は、近世中期の官位表で該当の年代ではない。
・『中世武家官位の研究』 木下聡著 吉川弘文館 2011
この資料は県立長野図書館に所蔵なし。所蔵がある、松本市中央図書館に上述の『近世武家
官位の研究』、「武家之官位」のような表があれば調査していただきたい旨照会したところ、
官位の表はあったが、文禄4年前後に但馬守久保何某および右京大夫久保何某の記載は確認でき
なかったという回答を得た。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 保科村-長野県
- 延命寺-長野県
- 久保氏
- 照会先
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- 松本市中央図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000210963