レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/07/01
- 登録日時
- 2013/01/23 02:00
- 更新日時
- 2013/04/29 22:37
- 管理番号
- 6000004764
- 質問
-
解決
豊中市の庄内地域に行基が来訪した際、椋橋神社の鯉に助けられたという伝説があると聞いた。この伝説について詳しくわかる資料はあるか。
- 回答
-
『豊中の伝説と昔話』『郷土 庄本の歴史を中心として』などに、行基と鯉にまつわる伝説について紹介されている。
- 回答プロセス
-
郷土資料の書架を探す。
『豊中の伝説と昔話』(鹿島友治)p16「椋橋神社と鯉」に「行基菩薩が仮橋を猪名川にかけようとした際、水の流れが激しく成功しなかったため、椋橋神社の祭神に祈って工事を進めた。するとたくさんの鯉がどこからともなく集まってきて魚橋を作り、そのおかげで工事が完成した」という伝説と、「行基菩薩が戸ノ内の治田寺に来る際、猪名川が洪水となり橋が流された。船筏を組んで行基を迎えようとしたがうまくいかないところへ、鯉が群れをなして行基の前に集まり、行基は鯉の背(魚橋)に乗って川を渡った」という伝説が記載されている。
『郷土 庄本の歴史を中心として』(郷土の歴史研究会)p24-26「鯉伝説」には、椋橋神社の祭神である素戔嗚尊は鯉に乗ってこの地に来訪し、祭神が乗ってきた鯉を埋めたのが鯉塚であるという伝承と、戸ノ内の治田寺の、1384年(至徳元年)に書かれた古文書には洪水の際に鯉が行基を渡したと書かれていること、大阪府全誌には工事の際に行基を鯉が助けたという伝承が紹介されていることの記載がある。なお同書p6「倉橋という名のいわれ」によると、「戸ノ内」は現在の尼崎市。
『新修豊中市史第7巻 民俗』(豊中市)p335では、行基について、奈良時代の僧で各地で橋や道路の工事などを行ったとされると解説を加えた上で、上記の工事を助けた鯉の伝説を紹介している。
なお『新修豊中市史第1巻 通史1』(豊中市)には、行基と鯉の伝説に関する記載はないが、p119「豊嶋郡と水上交通」の中で、行基の設けた楊津院(やないづのいん)の位置を検証し、庄本町の椋橋総社は楊津院の対岸であったとする記載があり。
またこのほか、『豊中の史跡たずね描き』(豊中市立教育研究所)p125「鯉池」では行基を渡した鯉および工事を助けた鯉の伝説が、『続 千里の歴史と伝統』(大阪府千里センター)p101「ミコトはコイの背に乗って降臨した」には、スサノオノミコトと鯉および工事を助けた鯉の伝説が紹介されている。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 『豊中の伝説と昔話』鹿島 友治/著 鹿島 友治
- 『郷土』森本 吉道/著 郷土の歴史研究会
- 『新修 豊中市史 第七巻』豊中市史編さん委員会/編集 豊中市
- 『豊中の史跡たずね描き』福西 茂/著 豊中市立教育研究所
- 『千里の歴史と伝統 続』北田 順三/文と写真 大阪府千里センター
- キーワード
-
- 行基(ギョウキ)
- 鯉塚(コイズカ)
- 鯉池(コイイケ)
- 豊中(トヨナカ)
- 庄内(ショウナイ)
- 歴史(レキシ)
- 人物(ジンブツ)
- 椋橋神社(クラハシジンジャ)
- 椋橋総社(クラハシソウジャ)
- 伝説(デンセツ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000127063