レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/02/19
- 登録日時
- 2010/06/17 02:01
- 更新日時
- 2010/07/15 12:05
- 管理番号
- 埼浦-2009-086
- 質問
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未解決
第二次世界大戦中に朝霞町にあった被服工場について、陸軍被服本廠朝霞分廠以外の工場はあったのか。
- 回答
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朝霞町にあった被服工場について、陸軍被服本廠朝霞分廠以外の工場を見つけることはできなかった。
- 回答プロセス
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次の資料を調査する。
【工場一覧、統計】
『全国工場通覧 21-23 (昭和16年版 1-3)』(商工省〔編纂〕 柏書房 1993)
埼玉県-紡績工業の項に朝霞町の工場なし。
『埼玉工場便覧』(埼玉県工業倶楽部編 埼玉県工業倶楽部 1948)
p115-140「製糸業」~「其ノ他ノ紡績工業」に朝霞町の工場なし。
p177-181「綿麻毛及絹製網縄及網製造業」~「其ノ他ノ雑工業」に朝霞町の工場なし。
『埼玉県事業場総覧』(埼玉労働基準局編 埼玉県事業場総覧刊行会 1950)
p58「朝霞町 大和布帛工業株式会社 米軍キャンプドレーク内」1件のみ。
米軍キャンプドレークは『朝霞市史 通史編』(朝霞市教育委員会市史編さん室編 朝霞市 1989)p1317によると、旧陸軍士官学校、被服廠の跡地を利用しているため、「大和布帛株式会社」は戦後にできた会社である可能性が高い。
《工業統計アーカイブス》(http://www.meti.go.jp/ 経済産業省 2010/02/19 最終確認)
「工業統計調査結果 昭和20年」 県単位の統計のため、朝霞町だけの工場数はわからない。
【県史、市町村史等】
『新編埼玉県史 資料編22(近代・現代4) 産業・経済』(埼玉県編 埼玉県 1986)
p563「埼玉県地方工業化委員会答申案 昭和15年7月」に朝霞工業地区は「伝統的伸銅、伸鉄工業アリ」とある。
『朝霞市史 通史編』(朝霞市教育委員会市史編さん室編 朝霞市 1989)
p1241-1243「陸軍被服分廠」
p1286~「勤労動員と学徒」の項、p1287 昭和18.7.4「東京日日新聞」の記事の引用によると、市域関係で学徒動員された工場は中外火工、荒井伸銅、朝霞伸管とある。
p1288「被服分廠では、(中略)女子はミシンがけをやっていた」とある。
『君たちに伝えたい朝霞、そこは基地の街だった』(中條克俊著 梨の木舎 2006)
p44 朝霞に進出してきた工場としてあげられているものは次の7社。
中央工業(株)新倉工場、計算尺の逸見製作所、中外火工品(株)白子精機工場、芝浦工作機械(株)、日興航空工業(株)、共和航空加工株式会社(風船爆弾の和紙張り)、皇国3002工場(伸銅工場で、中島飛行機のラジエーター等の製造)
『和光市史 通史編下』(和光市編 和光市 1988)
p532-536「軍需工場と村の変貌」、p568-572「敗戦後の軍需工場の動向」によると、上記7社のうち中央工業(株)から芝浦工作機械(株)までは作っているものが違う。
『新座市史 5 通史編』(新座市教育委員会市史編さん室編 新座市 1987)
p991-993「工場の進出」の項によると、進出してきた工場として中外火工品株式会社(兵器製造工場)があげられている。
『志木市史 通史編下』(志木市編 志木市 1989)
p342「志木国民学校の生徒は、朝霞の陸軍被服廠に勤労動員され(後略)」と書かれているので、近隣の市町村からの動員も陸軍被服廠に行っているようす。
『戸田市史 通史編下』(戸田市編 戸田市 1987)
p423 戸田町から浦和の高等女学校に通っていた女学生の動員先は、新潟鉄工、日本特殊鋼管、大宮の中島飛行機工場とある。国民学校高等科の1、2年生は古河電気に動員されている。
『あさか 徴用工員始末記』(星野伊三郎著)(県内図)
取り寄せて確認したが、朝霞の被服廠の体験談は詳しいものの、市内の他の工場について、ほとんど記述はなかった。
【女子挺身隊、勤労動員】
『女子挺身隊の記録』(いのうえせつこ著 新評論 1998)
事例は埼玉県外。序章によると「女子挺身隊」と「女子勤労動員」が混同されているとのこと。
『記録 少女たちの勤労動員』(戦時下勤労動員少女の会編集 BOC出版部 1997)
p178-179「勤労動員の実態調査 埼玉県」 朝霞では埼玉高等技芸女学校(現細田学園高等学校)が、共和レザーで風船爆弾の紙貼りをしたことしか記載されていない。
『細田学園開校60周年記念誌』(細田学園六十周年記念誌編集委員会編 細田学園六十周年記念誌編集委員会 1981)
p45-46 思い出(卒業生)で、被服廠へ動員されたとの記述あり。
『新聞にみる東京都女子挺身隊の記録』(斉藤勉著 のんぶる舎 1997)
埼玉県内から都内に行った事例はあるが、その逆は見あたらず。
『平和へのなでしこの祈り』(川越女子高校三十四回生・三十五回生有志 2007)
雨天体操場に被服廠からきたミシンを並べ、軍衣縫製をしたという回想が多数あり。
栗山欣也「埼玉挺身隊事件について」(『埼玉県史研究 4』p44-54 埼玉県 1979)
分須正弘「救国埼玉青年挺身隊事件と軍部」(『埼玉地方史 19』p25-44 埼玉県地方史研究会 1986)
本田豊「救国埼玉青年挺身隊事件」(『埼玉県労働運動史研究 13』 埼玉県労働運動史研究会 1981)
『郷土部部報 19号 女子勤労挺身隊の研究』(埼玉県立小川高等学校郷土部編 埼玉県立小川高等学校郷土部 1992)
『市高の学徒勤労動員』(長岡優子〔編著〕 さいたま市立浦和高校歴史同好会 2001)
『学徒勤労動員日記』(倉持繁夫 1984)
「勤労動員の体験を語る 戦時下の川越高等女学校」(『鶴ヶ島研究 10』 鶴ヶ島町史編さん室 1991)
『朝霞市博物館研究紀要 2』(朝霞市博物館 1999)p13-19「軍の見た朝霞」
- 事前調査事項
- NDC
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- 軍事施設.軍需品 (395 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 軍事施設
- 軍需工業-朝霞市-歴史
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000067932