レファレンス事例詳細(Detail of reference example)
提供館 (Library) | 県立長野図書館 (2110021) | 管理番号 (Control number) | 県立長野-19-090 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
事例作成日 (Creation date) | 2019年3月12日 | 登録日時 (Registration date) | 2020年02月13日 14時21分 | 更新日時 (Last update) | 2020年06月25日 13時12分 | ||||
質問 (Question) | 県歌「信濃の国」について 1 5番の歌詞の中で4人の人物、木曽義仲(歌詞中は「旭将軍義仲」)、仁科信盛(歌詞中は「仁科五郎信盛」)、太宰春台(歌詞中は「春台太宰」)、佐久間象山「歌詞中は象山佐久間」)が取り上げられているが、佐久間象山の表記が変化(「佐久間象山」と「象山佐久間」)しているが、オリジナルの表記はどうだったのか。 2 歌詞の中で上田地域の描写が少ない気がするが、どうしてか。 | ||||||||
回答 (Answer) | 1 歌詞の中で、佐久間象山の表記が変化(「佐久間象山」と「象山佐久間」)しているが、オリジナルの表記はどうだったのか 「信濃の国」は、『信濃教育界雑誌』1899(明治32)年6月 153号 p.31-32 においてが最初に発表された。そこでの記載は「象山佐久間」先生となっている。(『歌い継いで一世紀「信濃の国」展企画展資料』 信濃教育会信濃教育博物館編 信濃教育会信濃教育博物館 2000 【N767/66】 p.20-21に歌詞が転載されている)。その後歌詞を推敲して変えた部分があるが、この部分は変わっていない。 『信濃の国と浅井洌 県歌制定50周年記念特別展』 松本市立博物館 2018.10 【289.1/アレ】 表題紙の裏ページ図1に、浅井洌書「信濃の国」軸 の写真が載っており、こちらは1931(昭和6)年のものだが、「象山佐久間」先生と書かれている。 同、p.18の図55に、浅井洌書「信濃の国」が載っている 。こちらは1934(昭和9)年のものだが、同じく「象山佐久間」先生と書かれている。 『歌い継いで一世紀「信濃の国」展企画展資料』p.45に、1976(昭和51)に県民からの寄付を募り建立された「信濃の国」の歌碑の写真が載っている。こちらの表記も「象山佐久間」先生と書かれていた。 「佐久間象山」と表記された歌詞は見当たらなかった。 ※『信濃の国と浅井洌 県歌制定50周年記念特別展』は最寄りの図書館を通じて相互貸借で個人貸出可能。 『歌い継いで一世紀「信濃の国」展企画展資料』は、最寄りの図書館を通じて相互貸借ができるが、郷土資料の為個人貸出不可、館内閲覧となる。 2 歌詞の中で、上田地域の描写が少ない気がするが、どうしてか 明確にはわからなかったが、次の資料を参考までにあげる。 『「信濃の国」物語』 中村佐伝治著 信濃毎日新聞社 1978.10 【215/ナ】【N767/24】 p.193-『信濃名勝詞林』の編集手伝う、p.195-郷土の唱歌の歌詞頼まれる、p.196-長詩の構想まとまる p.198-200六節のアウトライン成る、の各項目で、浅井洌の作詞の苦労と過程が語られている。 ※『「信濃の国」物語』は、佐久市望月、中央、浅科各図書館で所蔵しており、貸出しができる。 『信濃の国と浅井洌 県歌制定50周年記念特別展』p.19-25「信濃の国」の作詞方法 の項で、旧開智学校校舎の学芸員、遠藤正教氏が興味深い考察をしている。以下抜粋。 ・信濃の国の作詞過程の手掛かりとなるのは、p.19中段「唯一、昭和9年(1934)に洌がラジオ放送で語った「深く考慮もせずに、ただ地理歴史の事柄を取り合わせて叙述したに過ぎません」という言葉のみ(※)。 ・p.20上段-「地理歴史の事柄はどこから取り合わされたものなのか-中略-「信濃の国」は小学校高等科1年生用の唱歌として作成された。-中略-当時小学生が学んだ県内の地理歴史の教授内容に着目して「信濃の国」の作詞方法を探る。」 表1(p.20-21) 検討に使用した郷土地理・歴史系教科書10種の一覧(地理教科書8種、歴史教科書2種)。「信濃の国」の歌詞に出てくる諸要素が、各教科書で記述されているか検討した。 表2(p.20-21)「信濃の国」の歌詞要素の教科書内の存否。信濃の国」の歌詞中の要素がどれだけ記述されているかを表した。「圧倒的に地理系教科書の方が高いパーセントを示しており、特に、作詞の依頼が来た明治31年(1888)に近い時期の教科書の方がより高い数値となっている。 表3(p.23) 郷土誌教科書で独立の項目が立てられた人物 ・p.24中段- 「歌詞の要素を中心に、当時の郷土の地理、歴史系教科書の内容を見てきたが、「信濃の国」の歌詞は、小学校高等科の児童が学ぶ内容とリンクしたものであったといえる。」 ・同、中段-下段 「残る疑問はどの教科書にも必ず記述された、善光寺、松本城、国分寺、真田幸村といった、県内の最も著名な名勝・人物が歌詞に採用されなかった点」について、「これは推測になるが、-中略-゛授業で教わらなくてもだれもが見聞きし知っているであろうものをあえて入れなかった゛のではないだろうか」などの記述がある。 ※このラジオ放送で語った部分の全文は、『歌が丘松韻』 古村青山編 古村青山 1944 【N910/8】p.3-4 に「昭和9年4月28日長野放送に於ける草稿」として載っている。 また、『歌い継いで一世紀「信濃の国」展企画展資料』 にもp.25に転載されている。 | ||||||||
回答プロセス (Answering process) | ・県歌制定50周年事業の「信濃の国」ホームページ内で「信濃の国」と検索し、トップに出てきた「県歌「信濃の国」/長野県」を選ぶ。基本的なことを知ることができる。 ・長野県郷土資料の7類を見る。 ・「信濃の国」の書名で検索。内容を確認しながら資料を選ぶ。 1「歌詞の中で、佐久間象山先生の表記が変化(佐久間象山、)しているが、オリジナルの表記はどうだったのか」について。 (1)「信濃の国」が最初に発表されたのは『信濃教育界雑誌』であるということを、『歌い継いで一世紀「信濃の国」展企画展資料』p.20-2に転載されていることで知る。 (2)各資料を時代が古い日付順にどう表記されたか確認したところ、「佐久間象山」という表記のものは見つからなかった。 2 「歌詞の中で、上田地域の描写が少ない気がするが、どうしてか」について、明確にはわからなかったが、次の資料が参考になりそうと思われたのであげておく。 (1)『「信濃の国」物語』p.193-200の4項の中で、浅井洌の作詞の苦労と過程が語られている。 (2)『信濃の国と浅井洌 県歌制定50周年記念特別展』p.19-25「信濃の国」の作詞方法 の項で、旧開智学校校舎の学芸員、遠藤正教氏が興味深い考察をしてるので引用、提示した。 <調査済み資料> 長野県歌「信濃の国」 太田今朝秋編 太田今朝秋 2001.12【N767/68】 『県歌信濃の国』 読売新聞社長野支局編 信濃教育会出版部 1976.9 【767/ヨ】長野県ホームページ県歌「信濃の国」 | ||||||||
事前調査事項 (Preliminary research) | |||||||||
NDC |
| ||||||||
参考資料 (Reference materials) |
| ||||||||
キーワード (Keywords) |
| ||||||||
照会先 (Institution or person inquired for advice) | |||||||||
寄与者 (Contributor) | |||||||||
備考 (Notes) | |||||||||
調査種別 (Type of search) | 文献紹介 事実調査 | 内容種別 (Type of subject) | 郷土 | 質問者区分 (Category of questioner) | 社会人 | ||||
登録番号 (Registration number) | 1000273900 | 解決/未解決 (Resolved / Unresolved) | 解決 |