レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年09月12日
- 登録日時
- 2022/01/14 14:40
- 更新日時
- 2022/01/14 14:40
- 管理番号
- 横浜市中央2638
- 質問
-
解決
瀬谷区阿久和の「阿久和の七不思議」、泉区岡津町の「腰抜け坂」についてわかる資料を探しています。
- 回答
-
1 阿久和の七不思議について
阿久和の七不思議について記述がある資料には以下のものがありました。
⑴『ゆかりの里 中川郷土史』 大橋俊雄/著 浄土宗史研究会 1958.3 p.62-63
「九、郷土の伝説」に阿久和の七不思議についての記述があります。
阿久和という地名が資料作成当時における新橋町と阿久和町を合わせた地域を
指しているという記載はありますが、七不思議の内容についての解説は載って
いません。
⑵『戸塚区郷土誌』 戸塚区郷土誌編纂委員会/編 戸塚区観光協会 1968.10 p.423
「伝説篇」の中に阿久和の七不思議が載っていますが、『ゆかりの里 中川郷土史』
からの引用であり、解説などは記載されていませんでした。
⑶『目でみる瀬谷区郷土誌』 古川甫/著 古川甫 1974.9 p.197
「十二 阿久和七不思議 阿久和伝説」として阿久和の七不思議が載っていますが、
解説等の詳細についての記述はありませんでした。
2 腰抜け坂について
腰抜け坂について記述のある資料には以下のものがありました。
⑴『ゆかりの里 中川郷土史』 大橋俊雄/著 浄土宗史研究会 1958.3 p.70
「九、郷土の伝説」で腰抜け坂について場所や名前の由来を説明しています。
坂名の由来として、藤沢方面から刑場に送られた武士が恐ろしさに腰を抜かしたた
めと説明しています。
⑵『戸塚区郷土誌』 戸塚区郷土誌編纂委員会/編 戸塚区観光協会 1968.10 p.427
「伝説篇」の中に岡津町の腰抜け坂についての記述があります。
『ゆかりの里 中川郷土史』からの引用で、内容はほとんど同じです。
⑶『いずみいまむかし 泉区小史』 泉区小史編集委員会/編 泉区小史発行委員会
1996.11 p.170
「東海道の裏道「岡津道」」の中で、腰抜け坂の場所や名前の由来が書かれています。
由来については2つの説が載っており、『ゆかりの里 中川郷土史』と同様のものと、
急坂のため荷物の運搬に苦労したことからその名がついた、というものがあります。
⑷『泉区散策ガイド 水と緑と歴史の散歩道』 泉区散策ガイド編集委員会・検討委員会
横浜市泉区役所地域振興課 2004.3 p.34
腰抜け坂の名前の由来について『いずみいまむかし 泉区小史』とほとんど同じ内容
の記述があります。
⑸横浜市泉区ホームページ 「腰ぬけ坂」
https://www.city.yokohama.lg.jp/izumi/shokai/rekishi/ayumi/mukashi/
koshisaka.html (2021年11月30日最終閲覧)
『いずみいまむかし 泉区小史』と同じく、2つの説が紹介されています。
⑹横浜市泉区ホームページ 「東海道の裏道「岡津道」」
https://www.city.yokohama.lg.jp/izumi/shokai/rekishi/ayumi/imamukashi/
2-shoshi/3-michi/michikawa-5.html (2021年11月30日最終閲覧)
岡津道の説明の中で腰ぬけ坂についても触れています。こちらでも
『いずみいまむかし 泉区小史』と同じ2つの説が紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 8版)
- 日本 (291)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000310711