レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20190625
- 登録日時
- 2023/06/01 00:30
- 更新日時
- 2023/06/01 00:30
- 管理番号
- 徳郷20190613
- 質問
-
解決
太平洋戦争中、敵機の飛来を監視していた防空監視哨の記録資料は、ないか。昭和20年8月6日午前中のものを見たい。
アメリカの公表によれば、広島に原爆が落とされたとき、南太平洋から牟岐町上空を通過したことになっている。
- 回答
-
監視哨については、以下の資料に記述があるが、記録文書は不明。
【A】徳島市公式HP内「「徳島市民がつづる戦後50年史」徳島大空襲」
https://www.city.tokushima.jp/shisei/peace/daikushu_sengo/index.html (最終確認2023/05/14)
手記「私の戦中戦後五〇年」
県内19の監視哨があったことがわかる。
「眉山、宍喰、牟岐(軍)、日和佐(軍)、橘(軍)、鷲敷、椿泊、小松島、撫養、板西、川島、貞光、池田、後に浅川、羽ノ浦、平谷、三名、小野、山城が追加され…」
手記「防空監視隊本部」
「防空監視隊本部と呼ばれ、県庁内の一室にも電話機を設置し…」
「一番宍喰に集まる一九カ所の監視哨からの通信を受け、…」
図書『徳島市民がつづる戦後50年史』もあり。
【B】『日和佐町史』
p922「四 太平洋戦争(一)日和佐対空監視哨」7行記述あり。
【C】『鷲敷町史』
p1190-1192「第二十節 防空訓練と防空監視哨」
編成や、業務内容など。
【D】『徳島県警察史』
p1135-1140「第五節 警防警察関係 -警防警察一般 (四)防空監視」
〇防空監視哨設置について。組織、場所など。
〇監視隊員、監視哨員の活動により発令された防空警報の発令状況(撫養小学校沿革史の記事より抄出)。
【E】『撫養小学校沿革史 撫養小学校創立八十周年記念誌』
p308学級日誌 昭和二十年度 があるが、8月6日の記録なし。
- 回答プロセス
-
1.インターネットgoogleで「防空監視哨」検索。徳島市HP内「「徳島市民がつづる戦後50年史」徳島大空襲」ヒット。手記「私の戦中戦後五〇年」に、県内19の監視哨があったことがわかる。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 四国地方 (218 8版)
- 参考資料
-
- 【A】徳島市民がつづる戦後50年史 (T950トク22徳島市/編 徳島市(総務部総務課) 1995.12)
- 【B】日和佐町史 (T242.5ヒワ3922日和佐町史編纂委員会/編 日和佐町 1984.03)
- 【C】鷲敷町史 (T241.3ワシ41190-1192鷲敷町史編さん委員会/編 鷲敷町 1981.12)
- 【D】徳島県警察史 (T316トク261135-1140徳島県警察本部(徳島県警察史編さん委員会)/編 徳島県警察本部 1965)
- 【E】撫養小学校沿革史 撫養小学校創立八十周年記念誌 (T376.2ムヤ308岩村武勇/著 撫養小学校創立八十周年記念会 1955)
- キーワード
-
- 防空監視哨、 牟岐町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000333840