レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20170120
- 登録日時
- 2018/12/28 00:30
- 更新日時
- 2019/02/15 13:27
- 管理番号
- 1002800
- 質問
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解決
琉球王国時代の刑罰の詳細について知りたい。
- 回答
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①
『琉球科律 糺明法条』 (宮城 栄昌編、吉川弘文館、1965.7)
p1 「科律は琉球王国最初の法典として、一七七五年(安永四=乾隆四〇)編集に着手し、一七八六年(天明六=乾隆五一)に公布された刑法典である。…その時まで、琉球国には令法典にあたるものとともに、律法典にあたるものがなかった。…刑法の場合には、中古以後、科松・科銭・寺預(寺入)・鞭打(科鞭)・流罪・斬刑(斬刑は事実上廃止)などが、やはり慣習や先例に基いて執行されていた」とある。
p10 「・・・科律全体の量刑は清律に比し一般に軽い。(中略)その他、監守盗・御物盗・枉法などにも、死刑の極刑はない。沖縄は近代まで殺人犯をみないところであった。それだけ重刑による予防を必要としない処であった。従って五刑以外の刑として籏引八付や凌遅や梟首を規定してあっても、それは法定主義の体裁上のものであり、わずかに謀反・謀大逆・謀叛などの政治犯に対する予防的なものであった。(中略)流罪などは…細分しているのは、事実上の死刑廃止とともに、刑法体系の進捗性を示すものと言えよう。肉刑と黥刑があるのは、日清の刑法を模倣したものであろうが、元来婦人には常時入墨が行われている国であったから、肉刑たる観念はそれほど強くなかったかもしれない。」とある。
以下に琉球科律の詳細な刑罰の内容が記されている。
p28-32 「六贓図」がある。
p34 「贖銭図」がある。
p38 「過失人を殺傷贖銭」がある。
p39-41 「五刑図 : 笞杖徒流死五刑図ニ准」がある。
②
『沖縄の法典と判例集 』 (崎浜 秀明編、本邦書籍、1986.1)
p562 「琉球科律は琉球王国がはじめて制定した刑法典である。尚穆王二四年(一七七五)に編集に着手し、十二年の歳月を要して尚穆王三五年(一七八六)に完成した。」
p565-566 「琉球国は中古以来刑罰として科松・科銭・寺預・鞭打・流刑・斬刑等を施行してきた。科律の刑は「六贓図」・「贖銭図」・「五刑図」に組み立てられていて、清律の「六贓図」・「納贖諸列図」・「五刑之図」に準ずるが、内容は沖縄独特のものである。全体の量刑は清律に比して一般に軽く、自由刑が多い。」
p569 「平等所記録」の刑罰には寺入、所払、科牢、科鞭、枷号、入墨、科銭、欠所、流刑、斬罪、があり、死刑流刑は国王の裁可を必要とした。」
p31-34 「六贓図」がある。
p37-38 「贖銭図」がある。
p41 「過失人を殺傷贖銭」がある。
p42-43 「五刑図 : 笞杖徒流死五刑図ニ准」がある。
③『沖縄の犯科帳』 (比嘉春潮 崎浜秀明編訳、平凡社、1965.4)
p9 「財産上の争い、小さい刑事事件などは、なるべく各与(くみ)、一門、親類の間、または村々の内法によって解決するようになっていった。」「内法は原則として全住民(あるいはその代表者)の集会たる「村揃い」で、基準を協議し決定するので、これを「村吟味」ともいい、またこの基準をもとに村を管理し監督するので「村締り」とも称した。制裁には科銭、科米、科松(私費で植樹させる)、日晒(枷号のようなもの)などがあった。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会科学 (3)
- 参考資料
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- 琉球科律 糺明法条 宮城 栄昌/編 吉川弘文館 1965.7 (p1,10,28-32,34,38-40)
- 沖縄の法典と判例集 崎浜 秀明/編 本邦書籍 1986.1 (p31-34,37-38,41-43,562-569)
- 沖縄の犯科帳 比嘉 春潮/編訳 東洋文庫 平凡社 1965.4 (p9)
- キーワード
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- 刑罰
- 科律
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000249482