レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年1月17日
- 登録日時
- 2020/01/28 14:56
- 更新日時
- 2020/02/29 10:50
- 管理番号
- 2019-46
- 質問
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解決
1 昭和20年~32年頃の、松山市内の本屋、古書店、映画館を掲載した地図はあるか。
2 昭和30年頃、大街道の服地屋、兼、洋裁店「マルシン」の場所はわかるか。
3 昭和32年6月18日、松山で、外山滋バイオリンコンサートが開かれたが、場所とプログラムが分かるか。
4 大街道の仕事場「マルシン」からの帰り、河原町筋から中の川の柳を見ながら、(松山の市駅か、国鉄に乗って帰ったと思う)、実家の伊予市に帰っていた。今でも、河原町筋の位置は、その当時と同じか。
5 昭和20年代、愛媛新聞記者、清水さんという方が、東予地方の担当だったが、その方について、その後の消息などが分かるか。
6 愛媛新聞社、その当時の建物は残っているか。
7.昭和32年6月22日、志賀義雄と須藤五郎の講演会はどこであり、どんな内容だったか。
- 回答
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1 昭和20年~32年の当館で所蔵している住宅地図は、次の2点で、現在の住宅地図のように店舗名などが記載されている。
【資料1】【資料2】
2 【資料1】p21、【資料2】p32に、大街道一丁目、メインストリート東側に「マルシン服地」が記載されている。
4 河原町については、【資料3】p230-231に「河原町」が松山市の地名として掲載されており、【資料1】p21、【資料2】p32に「河原町」の記載がある。また、現在最新の住宅地図である【資料4】でも、松山市の町名として「河原町」が確認できる。
「中の川」については、町名ではないが、「湊町」と「柳井町」にまたがる通りで、【資料1】のp21の通りに「中ノ川」の記載、【資料4】の「松山市中心索引図」に「中の川通り」の記載がある。以上から、河原町、中の川については、当時と同じと推定される。
5 【資料5】には、「愛媛新聞社支社・支局一覧」(p757-765)があり、昭和20年代頃からの歴代支社長の在任年月等の記載があるが、この中には、清水姓の人は見つからなかった。また、【資料5】の「社友名簿(平成8年12月1日現在)」(p931-941)と「物故者名簿(昭和41年6月以降)」(p942-943)にも清水姓の人を見つけることができなかった。この資料以外については、姓だけで調べることが困難。
6 その当時の建物とは、愛媛新聞社の社屋であれば、【資料1】・【資料2】・【資料4】により、愛媛新聞社の位置は、現在と変わりない。ただし、建物は新築されている。
3・7 【資料6】p109の、県勢(教育・文化)の音楽の項目の小項目「愛媛労音例会」の中に、「6月外山滋バイオリンリサイタル(東雲学園講堂)」との記載がある。
昭和32年6月17日から6月24日までの「愛媛新聞」をマイクロフィルムにて一覧したところ、3のコンサートについては、記事を見つけることができなかったが、7については、次のとおり、関連の2記事がある。
(1)昭和32年6月21日1面(1段6行の記事)
「志賀氏の演説会も」
共産党県委員会は同党常任幹部会員の志賀義雄氏を迎え、二十二日午後六時から松山市道後公会堂で演説会を開く。内容は内外諸情勢と日共の任務=志賀義雄氏、戦争と文化=須藤五郎氏。
(2)昭和32年6月22日1面(2段30行の記事・写真1枚)
「当局者を国会喚問 志賀義雄氏談」
日共の志賀義雄氏は国鉄労組全国大会に出席のため前参院議員須藤五郎氏とともに二十一日午後松山着、次のように語った。(後略)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『松山市・今治市縦横明細地図 [昭和28年]』(日本地図編集社 1953)<当館請求記号:KM31-3>
- 【資料2】『松山市住宅明細図 1957』(都市企画協力会 1957)<当館請求記号:KM31-5>
- 【資料3】『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』(角川書店 1981)<当館請求記号:RK290-55>
- 【資料4】『ゼンリン住宅地図 愛媛県 松山市1 201907』(ゼンリン 2019)<当館請求記号:RKM31-8-19-1>
- 【資料5】『愛媛新聞・百二十年史』(愛媛新聞社 1996)<当館請求記号:K070-9>
- 【資料6】『愛媛年鑑 1958』(愛媛新聞社 1957)<当館請求記号:K059-2>
- キーワード
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- 住宅地図
- 服地屋マルシン
- 愛媛新聞
- 愛媛新聞社
- 弘田義定
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000273077