レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年09月08日
- 登録日時
- 2016/07/15 14:38
- 更新日時
- 2016/09/06 13:47
- 管理番号
- 埼熊-2016-027
- 質問
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解決
奈良三郎について以下のことが知りたい。
1 奈良三郎の年代について
2 奈良三郎の子孫について
3 奈良元安が奈良三郎の子孫か
- 回答
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1 奈良三郎高長は、保元の乱(保元元年(1156年)7月)で源義朝に従うという記述のある資料があった。
『熊谷人物事典』(日下部朝一郎編著 国書刊行会 1982)
『大里郡郷土誌』(下田江東編 聚海書林 1983)
また、建久年間(1190-99年)、奈良三郎が開山したという記述のある資料があった。
『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)
2 奈良三郎の子孫については、3代後まで記述のある資料があった。
『埼玉叢書 第2巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1970)
『大里郡郷土誌』(下田江東編 聚海書林 1983)
明和村田島地区には、奈良氏の姓を名乗る者が多いという記述のある資料があった。
小池幹衛著「明和村と奈良地区との交流」(『熊谷市郷土文化会誌 36』p13-17 熊谷市郷土文化会 1981.11)
3 奈良元安について記述のある資料はあったが、奈良三郎高長との関連は見つからなかった。
『広文庫 第16冊 は-ひ』(物集高見共著 名著普及会 1986)
『姓氏家系大辞典 第3巻 ナ-ワ』(太田亮著 角川書店 1981)
- 回答プロセス
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1 埼玉関係人物辞典類の調査
『熊谷人物事典』(日下部朝一郎編著 国書刊行会 1982)
p270「奈良三郎高長(頼尊)」の項によると、「建久六年 没 (一一九五)」「武士。奈良氏の祖。成田氏系図によると、成田大夫藤原助高の三男三郎高長が、当所奈良に在住し在名をもって奈良氏を名のった。高長は保元の乱に源義朝に従い、のち当所に帰って妙音寺を開き頼尊といった。その子高家は頼朝に仕え高家の子助綱、その弟高綱、高綱の子幸綱、弟光綱など奈良氏の子孫である。また成田分限帳に四五貫文奈良下野があり、室町時代の記録中にも奈良氏の名がみえている。高長の兄助広は成田に、次兄の行隆は別府に、弟助実は玉井に分れ、地名をもって氏とし、武蔵の四家と称された〔熊谷の文化財(旧)p.19〕。」との記述あり。
「別に横山党系図では、成田氏の祖成任の弟三郎は箱田に住し、その弟奈良四郎が奈良氏の祖となり、奈良村に住す。子奈良三郎は保元の乱に義朝に従い、その子五郎は頼朝に仕う。(後略)〔武蔵武士〕-とあり異なっている。」
出典資料の『武蔵武士』(渡辺世祐著 八代国治著 有峰書店 1971)ではp62にその記述あり。
その他、妙音寺の墓石に関する記述あり。
2 埼玉関係データベースの調査
埼玉人物文献索引データベース(埼玉県立図書館)を〈奈良〉で検索したが該当なし。
埼玉関係雑誌記事索引データベース(埼玉県立図書館)を〈奈良〉で検索しヒットした資料の調査
小池幹衛著「明和村と奈良地区との交流」(『熊谷市郷土文化会誌 36』p13-17 熊谷市郷土文化会 1981.11)
p16「奈良三郎の子孫」の項によると、「百姓系図改」という資料を典拠に、「明和村田島地区には、奈良氏の姓を名乗る者が多い。(中略)忍落城を期に、奈良氏の末流、奈良式部なる者が田島地区に土着し、長百姓となり代々名主を勤めた。」との記述あり。
3 熊谷関係地誌類の調査
『熊谷市史 通史編』(熊谷市史編さん室編 熊谷市 1984)
『大里郡郷土誌』(下田江東編 聚海書林 1983)
p275-284「奈良村」の章あり。
p276「成田系図に成田太夫助高の第三男に、奈良三郎高長あり、これ奈良氏の祖にして、始めて当村に居住し、在名を以て、氏とせしものなるべし、三郎高長は源義朝に従て保元の乱に参加し、又村内に妙音寺を建立す、高長の子を五郎左衛門高家と云ふ、源頼朝に仕ふ、(中略)成田分限帳に、四十五貫文奈良下野とある外、室町時代の古記録中、奈良氏の名しばしば載せられあるを以て、奈良高長当村に居住して以来、当村の地は戦国時代の頃に至るまで、奈良氏累代世襲して所領経営せし所なるべし、(後略)」とあり。
『新編熊谷風土記稿』(日下部朝一郎著 国書刊行会 1978)
p219「奈良村」に「成田系図によると、成田太夫藤原助高の三男三郎高長、当所を領し奈良三郎と名乗り妙音寺を開き代々この地に住したが、妙音寺には三郎の墓と呼ばれるものがある。」とあり。
4 系図関係資料の調査
『寛政重修諸家譜 新訂』(続群書類従完成会)
『系図纂要 別冊』(名著出版)
『藤原氏族系図』(千葉琢穂編著 展望社)
『広文庫 第16冊 は-ひ』(物集高見共著 名著普及会 1986)
p35「はたけやま(畠山氏)」の項に、「奈良元安」あり。
『成田記』(小沼十五郎保道著 歴史図書社 1980)
p262に高長三郎から2代後までの系図あり。
p286「成田分限帳」に「永楽 三十貫文 奈良下野」とあり。
『埼玉叢書 第2巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1970)
p317「成田系図 藤原」 基忠からはじまる系図に、高長のあと、3代後までの系図あり。
『日本家系・系図大事典』(奥富敬之著 東京堂出版 2008)
p739「ナラ 奈良」の項あり。3が高長の系図、5讃岐に多々良姓があったとあるが、3と5の関連は記述なし。
『姓氏家系大辞典 第3巻 ナ-ワ』(太田亮著 角川書店 1981)
p4378-4380「讃岐の奈良氏」の項あり。
p4378に「西讃府志に「奈良氏は其の先の出る所詳ならず。蓋し東国の人にて、応仁の比、太郎左衛門元安といへるあり。」とあり。
5 寺院関係資料の調査
『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)
p498-499「妙音時(真言宗智山派) 建久年間(1190-99年)、奈良三郎が開山したと伝えられている。墓地に頼尊の墓石が現存している。」とあり。
- 事前調査事項
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事前調査資料
『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 第11巻』(平凡社 1993)
p855「上奈良村(現 熊谷市上奈良)」に「幡羅郡忍領に所属(風土記稿)。(中略)かつては奈良村のうちで、成田氏一族といわれる奈良氏の苗字の地とされ、成田系図(龍淵寺蔵)によると成田氏の祖助高の子高長が奈良三郎を称している。(後略)」とあり。
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『熊谷人物事典』(日下部朝一郎編著 国書刊行会 1982)
- 『大里郡郷土誌』(下田江東編 聚海書林 1983)
- 『埼玉宗教名鑑』(産報通信社出版局編 埼玉新聞社 1978)
- 『埼玉叢書 第2巻』(稲村坦元編 国書刊行会 1970)
- 『熊谷市郷土文化会誌 36』(p13-17 熊谷市郷土文化会 1981.11)
- 『広文庫 第16冊 は-ひ』(物集高見共著 名著普及会 1986)
- 『姓氏家系大辞典 第3巻 ナ-ワ』(太田亮著 角川書店 1981) , ISBN 4-04-030230-3
- キーワード
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- 奈良郷
- 奈良 三郎高長(ナラ サブロウタカナガ)
- 熊谷市-歴史
- 奈良 頼尊
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000194780