レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年11月20日
- 登録日時
- 2020/12/23 12:17
- 更新日時
- 2021/01/15 13:22
- 管理番号
- 2020-46
- 質問
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解決
『ある英語教師の記録』の中に、曽根保が、父俊蔵、母ゆき、さらには簡野道明について(「蒲田高等女学校と簡野道明先生」以外の章で)何か語っていないか知りたい。
- 回答
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この資料の目次は大きく以下のとおり。
Ⅰ 生い立ち p1
Ⅱ英文学 p111
Ⅲロレンスビニヨン氏の美術行脚にお伴して p139
Ⅳあの頃のことから p187
Ⅴ雑 p216
このうち、「Ⅰ生い立ち」には母ゆきが何度も登場。主な部分は以下のとおり。
(1)表紙(i) 家族写真が載っており、ゆきが写っている。
(2)p3-4 養子に出され時の、家族との別れについて書かれている。
(3)p6-7 家族で上京した際、兄徹が簡野道明に預けたられたが、しばらくして逃げ帰って来たことが書かれている。
(4)p9-10 母の特技が暗誦だったことが書かれている。
(5)p13-16 保が単身上京するまでの流れと、母との別れが書かれている。
(6)p38-39 中学卒業後の進路について母と話し合ったこと、母がメソジスト教会の熱心な信者だったことが書かれている。
(7)p51-53 母に対してあまり親孝行できなかった後悔の気持ちと、保が腸チブスから回復したことを喜び、母が保を牧師にしようとしたことが書かれている。
(8)p63 大分で知り合った女性が、その後宇和島の教会に婦人伝道師として赴任し、母と懇意になったとある。
(9)p74 志願兵として入営した直後、「若いときの苦労はこうてもせよ」という母の教えを守って乗り越えたことが書かれている。
父についてはほとんど記述がなく、登場するのは以下の部分。
(10)p3 「父が亡くなって(明治三十四年九月二十五日)間もなく、ある午後のこと、徹兄に、大川へ魚釣りに行こうかとさそわれた。」とある。
(11)p193 父方・母方共に、先生と呼ばれる職業の親族が多かったことが書いてある。
(12)p223-224 徳富蘇峰を訪ねた際、父と簡野道明の交友関係を知った蘇峰が、実の祖父のように接してくれたとある。
簡野道明については、上記(3)及び(12)以外に登場なし。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料】『ある英語教師の記録』曽根 保/著 1982 <当館請求記号:K289-ソタ>
- キーワード
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- 曽根保
- 曽根俊蔵
- 曽根ゆき
- 簡野道明
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000291296