レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月18日
- 登録日時
- 2019/01/09 19:00
- 更新日時
- 2019/03/26 18:12
- 管理番号
- 埼熊-2018-059
- 質問
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解決
天皇家のルーツは朝鮮だと聞いた。それに関する資料が知りたい。
- 回答
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以下の資料を提供した。
小島毅著「江上波夫「騎馬民族征服王朝説」が日本人に残したもの」(『Sapio=サピオ 2014年12月号』p97-98 小学館 2014.12)
p97「騎馬民族征服説」
朝鮮半島南部を支配していた東北アジア系の遊牧民族が4世紀から5世紀にかけ、北部九州に侵入して第一次の征服を開始し、その後畿内に進出してヤマト王権を確立したとする説についての解説あり。
高山秀子著「天皇が結ぶ日韓の縁」(『Newsweek 2002年3月20日』p18-22 TBSブリタニカ 2002.3)
「明仁天皇が平成13年12月の68歳のお誕生日に際して述べられたおことばに、関連する内容がありましたのであわせてご紹介します。「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。」」とあり。
- 回答プロセス
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1 《Google》(http://www.google.co.jp/ Google)を〈天皇 & 渡来説〉で検索する。
《ウィキペディア》「騎馬民族征服王朝説」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%BE%81%E6%9C%8D%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC ウィキメディア財団)
「騎馬民族征服王朝説(きばみんぞくせいふくおうちょうせつ)とは、東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓を基地[1]として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配ないしそれと合作して大和朝廷を立てたという説。」とあり。
2 自館目録を〈騎馬民族国家〉で検索する。
『騎馬民族国家 日本古代史へのアプローチ』(江上波夫著 中央公論社 1991)
p162「推論の域を出ないが、東北アジア系の騎馬民族が、新鋭の武器と馬匹とをもって朝鮮半島を経由し、おそらく北九州か本州西端部に侵入してきて、四世紀末ころには畿内に進出し、そこに強大な勢力をもった大和朝廷を樹立して、日本統一国家の建設をいちおう成就したことは、現在においても、ほぼ暗示されているのである」とあり。
3 自館目録を〈天皇 & ルーツ〉で検索する。
太田竜著「日本原住民史から天皇制をみる」(『現代の眼 1982年1月号 古代史の疑問‐日本人と天皇のルーツ』p104-109 現代評論社 1982)
p104「中国史、挑戦しに照らし合わせて見ると、正史(日本書紀)に云う、いわゆる天智天皇とは、実は唐二よって滅ぼされた百済国の王族の一人であり、いわゆる天武天皇とは唐と同盟して朝鮮半島の統一に向かってふみ出した新羅国の王族の一人であることが、想定できる」とあり。
前之園亮一著「崇神天皇は騎馬民族の王か」(『別冊 歴史読本 1993年11月 古代天皇家の謎』p68 新人物往来社 1993.11)
p68「また、戦後まもなく江上波夫氏によって提唱されたいわゆる騎馬民族征服王朝説では、任那から日本へ渡来してきた騎馬民族の王者であるとされている」とあり。
4 自館目録を〈江上波夫〉で検索する。
小島毅著「江上波夫「騎馬民族征服王朝説」が日本人に残したもの」(『Sapio=サピオ 2014年12月号』p97-98 小学館 2014.12)(回答資料)
5 《MAGAZINEPLUS》(日外アソシエーツ)を〈天皇 & 朝鮮 & 渡来〉で検索する。
高山秀子著「天皇が結ぶ日韓の縁」(『Newsweek 2002年3月20日』p18-22 TBSブリタニカ 2002.3)(回答資料)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2017年2月18日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (21 9版)
- 参考資料
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- 『Sapio=サピオ 2014年12月号』(小学館 2014)
- 『Newsweek 2002年3月20日』(TBSブリタニカ 2002)
- キーワード
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- 天皇-歴史-古代
- 騎馬民族
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000249986