レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年08月16日
- 登録日時
- 2019/01/22 15:59
- 更新日時
- 2019/03/18 13:29
- 管理番号
- 埼熊-2018-065
- 質問
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解決
荻原重秀の政策で、年貢を銀や米で納めた、あるいは半々で納めたという記述のある資料が見たい。
- 回答
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以下の資料に記述があった。
『佐渡國誌』(新潟縣佐渡郡役所発行 1922)
p105-206 近世 奉行時代(江戸幕府)
p139「(前略)但當未年より取米之儀前午年一倍增被仰付翌申年酉年二ヶ年御取箇右に准し半分米納半分銀納安直段之積り」とあり。
『天領佐渡 1』(田中圭一著 刀水書房 1985)
p92「佐渡奉行所のこの年の取米高は、4万4996石、うち2万3022石が米納、2万1974石分が銀納とされた」
p94-95「元禄5年5月のこと、佐渡南岸赤泊近くの新保村と真浦村の百姓共が奉行所に一通の訴状を出した(中略)米が納まるはずがありません。ところで銀納(年貢を米でなく銀で納める)をせよということでしたので(後略)」
p101-104「年貢半農銀」
「元禄四年と五年の年貢取立てを通じて、佐渡奉行所は、その年貢額をつづけていくことが無理ないことを事実として知っていた。そこで最大限多くの年貢を手取りにする方法として、田方の年貢の半分を米で、あとの半分を銀で納めさせることにした。また畑年貢もすべて銀納にした。(後略)」
『新・國史大年表 第5巻1』(日置英剛編 国書刊行会 2010)
p643「1681 天和元年」
「5月」「佐渡、江戸廻米五千石の銀納が困難なため、米納に復すよるよう幕府巡見使に訴える。1688年(元禄元年)米納となる。(「佐渡国誌」)」
- 回答プロセス
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1 自館目録を〈荻原重秀〉で検索する。
『勘定奉行荻原重秀の生涯』(村井淳志著 集英社 2007)
p88-104「4章 佐渡渡海」
荻原が佐渡奉行として行った施策について
p100-101 年貢に関する記述あり。
2 参考図書を調べる。
『新・國史大年表 第5巻1』(回答資料)
(1)上記資料の参考文献『佐渡國誌』(回答資料)を調べる。
3 NDC分類〈214.1〉の棚にあたる。
『天領佐渡 1』(回答資料)
- 事前調査事項
- NDC
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- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
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- 『佐渡國誌』(新潟縣佐渡郡役所発行 1922)
- 『天領佐渡 1』(田中圭一著 刀水書房 1985)
- 『新・國史大年表 第5巻1』(日置英剛編 国書刊行会 2010) , ISBN 4-336-04830-4
- キーワード
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- 荻原 茂秀(オギワラ シゲヒデ)
- 年貢-歴史-江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 歴史
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000250511