レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年02月27日
- 登録日時
- 2016/01/13 16:35
- 更新日時
- 2016/02/25 15:00
- 管理番号
- ASN2014-33
- 質問
-
未解決
昭和30年代に、愛知県私立東海女子高校が共学から女子校に変更した。
当時の社会的な反応を知りたい。客観的な記事を見たい。
【質問者からの情報】
昭和37年4月東海第二高校(男女共学)で開校する予定で入試まで実施しながら、東海女子高校として開校した。
東海学園には、過去に淑徳学園や桜花学園との合併話もあったが実現はしなかったらしい。
- 回答
-
社会的な反応の記述や客観的な記事は見つけられなかった。
詳しくは回答プロセスを参照のこと。
- 回答プロセス
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1.学校史から探す
1-1.学校法人東海学園のWebサイト <https://houjin.tokaigakuen-u.ac.jp/>
『東海学園学報』
※No.7~Webサイト内で閲覧可。
学校法人東海学園Top>学園案内
・No.12(2011.9) 平成23年9月30日発行
p.2 "昭和22年には申請の東海中学校、その翌年には新制東海高等学校がスタートしました。
新学制による現代教育が整い、天白校地を取得し懸念であった仏教教育を中心とした女子教育に
着手し、東海女子高等学校が開校したのが昭和37年のことでした。"
・No.10(2009.9) 平成21年9月28日発行
p.1 東海学園について『中部経済新聞』で連載、その後図書を出版した件について記述あり。
※連載期間:2008年1月~6月、和木康光著『ともいきの教え永遠に-東海学園百二十年の歩み』
→本学では新聞・図書ともに所蔵なし
→社会的な反応や客観的な記事の掲載なし。
1-2.当館OPACで探す
<キーワード:東海学園 東海 高校 女子 など>
『東海学園創立百年史』(東海学園創立百周年記念出版委員会 東海学園, 1988.11 377/To28-2)
p.427~「三〇 女子教育の達成 昭和三十七年(一九六二)」
p.430 開学当初に「東海第二高等学校」という校名を使用した経緯などについての記述あり。
p.903 「三九 東海女子高等学校の歩み」
→学校ができた経過と学校の教育方針、女子教育についての宗教的な道念に関する記述あり。
p.940~「Ⅲ<対談>東海の女子教育」
→女子校開校までの流れや、東海第二高校の最初の入試についての記述あり。
※以下の学園関係資料にも同様の記述があるが、客観的な記事などは掲載なし。
『東海学園創立九十周年史』(東海学園創立九十周年史編集委員会編 東海学園, 1978.11 3721/TO28-1)
『東海女子高等学校二十年史』(東海女子高等学校編 東海学園東海女子高等学校, 1982 376/TO28)
p.291~「第十一章 資料」に高校設置認可申請に関する書類を掲載(共学に関する記述なし)
p.334~「学校歴(敬称略)」で、淑徳や桜花学園との合併の件についての記述あり。
<有力情報なし>
学園資料だが、いずれの資料も客観的な記事は見つけられなかった。
『図説東海学園史』(東海学園, [1998] 3721/TO28)
『図説東海学園史 : 東海学園創立百年記念出版』(出版委員会編 東海学園, 1988 377/TO28-1)
2.愛知県の歴史、愛知県の教育史から探す
2-1.当館OPACで探す
<キーワード:愛知 教育 歴史 など>
回答につながる資料は見つけられなかった。
<関連資料>
『愛知県近代女子教育史』(結城陸郎著 愛知県郷土資料刊行会 2000.7 372155/Y97)
p.302~ 昭和20年代の愛知県の男女共学制・別学制、女子教育についての記述あり。
p.165~ 愛知淑徳(高等)女学校の記述あり。
p.443~ 小林清作(私立愛知淑徳女学校の創設者)
p.566~ 大渓(谷)専(桜花義会看病婦学校の設立者)
2-2.中部地方(分類215*)、教育(37*)周辺の棚をブラウジング
『愛知県私学協会三十年記念誌』(愛知県私学協会 1978 376/A23)
p.194「学校法人東海学園 東海女子高等学校」
宗教的立場から女子教育の重要性を痛感し、社会の要望に応えて開校した旨の記述あり。
<関連資料>
『愛知県昭和史』下巻(愛知県編集 愛知県 1973.3 2155/A231/2)
p.512 昭和23年から24年頃の教育制度改革(愛知県)での様子についての記述あり。
<有力情報なし>
『愛知県史 資料編34 近代11 教育』(愛知県史編さん委員会 愛知県 2004.3 2155/A23/2-34)
『愛知県教育史』第五巻(愛知県教育委員会編 愛知県教育委員会 2006 372155/A23/1-5)
『愛知県高校教育三十年』(愛知県公立高等学校長会 1978 376/A231)
『報道写真集名古屋情熱時代 : 昭和20年~30年代発掘』
(元名古屋タイムズ編集局スタッフ編 樹林舎 2009.2 2155/MO87)
3.近代の女子教育史、教育史から探す
3-1.当館OPACで探す
<キーワード:近代 女子 教育 など>
『日本女子教育史』(志賀匡著 琵琶書房 1977.5 376/Sh27)
→第五章「女子教育論」(p.359)、付録「仏教の女性観と教育」(p.371)には該当の記述なし。
3-2.分類37*(教育)周辺の棚をブラウジング
回答につながる資料を見つけられなかった。
<関連資料>
『日本近代の仏教女子教育』(中西直樹著 法藏館 2000.12 3721/N38)
p.101「二 仏教女学校の隆盛」 →愛知淑徳女学校・愛知淑徳高等女学校の記述がある。
*1904-1912に仏教徒が設立した女学校の記載をしている為、東海女子高等学校は記載なし。
『男女共学制の史的研究』(橋本紀子著 大月書店, 1992.5 3742/H38)
p.365「第十章 高度経済成長期前後の男女共学」に1950年代後半以降の男女教育(高校・大学)に
関する記述あり。
4.中日新聞の刊行物から探す
4-1.基本事項の確認
『JapanKnowledge』【本学契約データベース】
・中日新聞(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)
"名古屋市の中日新聞社が発行、おもに中部地方全域で購読されている日本最大のブロック紙。
名古屋の二大有力紙『新愛知』(1888年創刊)と『名古屋新聞』(1906年創刊)が1942年(昭和17)9月1日に
合併し、『中部日本新聞』として発足、1965年(昭和40)題号を『中日新聞』に変更した。
→昭和37年当時の紙名は『中部日本新聞』(本学所蔵なし)
4-2.当館OPACで探す
いずれの資料も回答につながる記事は掲載されていなかった。
『号外!号外!号外! : 見る、聞く、110年の足跡』
(中日新聞社メディア局企画・制作 中日新聞社出版開発局, 2002.6 2106/C65)
『振り向けば未来が : 東京新聞・中日新聞の社説「戦後50年」から』
(東京新聞・中日新聞論説室編 東京新聞出版局 1995.11 (東京ブックレット ; 20) 304/TO46)
5.雑誌、新聞のデータベースから探す
<キーワード:女子校 男女共学 男子 募集停止 愛知県 高校 東海女子 など>
<有力情報なし>
『中日新聞データベース』【契約データベース】→検索対象期間外(検索可能期間:1987年4月1日以降)
『ヨミダス歴史館(読売新聞)』【契約データベース】
『聞蔵Ⅱ(朝日新聞)』【契約データベース】
『日本教育新聞社』【契約データベース】
『ELNET』【契約データベース】
『ざっさくぷらす』【契約データベース】
『大宅壮一文庫』【契約データベース】
『マガジンプラス』【契約データベース】
Web最終確認日:2016/01/13
以上
- 事前調査事項
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【質問者の調査済み資料】
『東海学園創立百年史』
『ともいきの教え永遠に』(本学所蔵なし)
『東海学園史』
→いずれも東海女子高校関連資料だが、当時の社会的な反応や客観的な記事の記述を見つけられなかった。
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 東海女子高校
- 東海学園
- 教育
- 女子校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 教育
- 質問者区分
- 教員
- 登録番号
- 1000186981