レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/03/12
- 登録日時
- 2012/03/17 02:00
- 更新日時
- 2012/03/17 02:00
- 管理番号
- 1000000560
- 質問
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解決
天孫氏や、天孫氏の位牌が祭られている場所はどこか。
- 回答
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下記の資料を紹介する。
『沖縄大百科事典 中』(沖縄タイムス社 編・刊、1983年)
p865 「天孫氏」の項より、琉球最初の王統の称のこと。祭られている場所についての記述はなし。
「近世琉球における天孫氏問題」(高良 倉吉 著)『球陽論叢』(島尻 勝太郎、嘉手納 宗徳、渡口 真清、三先生古稀記念論集刊行委員会、ひるぎ社、1986年)p145-158
p157に「天孫氏の位牌を・・・浦添の龍福寺に安置」という記述があり、その理由などについても触れられている。
『ぞくぞく!目からウロコの琉球史』(上里 隆史、ボーダーインク、2010年)
p120 「伝説の王は実在したのか」の項より、「天孫氏の位牌を浦添の龍福寺に安置することを決定」との記述あり。
『浦添市史 第4巻 資料編3』(浦添市教育委員会 編・刊、1983年)
p310 「極楽寺・龍福寺・天竜寺」の項より、「1728年に、龍福寺は天孫氏二十五代、舜天王統、英祖王統、察度王統、第一尚氏歴代国王の菩提寺とされている。」との記述あり。
インターネットで、「天孫氏」「墓」をキーワードに検索すると北中城の「アカイ玉御墓」が見つかる。
『北中城史』(北中城村史編纂委員会、北中城村役所、1996年)
p63 「村落史伝承と聖地」の項より、「天孫氏にまつわる古跡として、東方のタカラムイの岩山に辺土天孫氏王統の墓と言われているアカイ玉御墓があり…。安谷屋村が拝祀する辺土大主の墓も、天孫氏ゆかりの墓と伝えられている。」との記述がある。
p366 「アカイ玉御墓」の項より、安谷屋部落、東方のタカラムイ(宝森)にあり、アカヌウハカとも呼ばれている。辺土天孫氏王統の墓とも言われ、安谷屋ノロ殿内が管理している。
『古琉球 三山由来記集』(東江 長太郎、那覇出版社、1989年)
p77 「天孫氏の遷居」の項に、辺戸天孫氏、今帰仁天孫氏の説明あり。
「天孫氏は二十五代の間に各所に移居遊ばせ給う。初めは今帰仁に住居。故に俗称今帰仁天孫氏、次に国頭辺戸に遷居し給う。故に俗称辺戸天孫氏、…」と書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 沖縄大百科事典 中 沖縄大百科事典刊行事務局∥編 沖縄タイムス社 1983.5 K03/O52/2 p865、p114
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2 球陽論叢 島尻 勝太郎・嘉手納 宗徳・渡口 真清 三先生古稀記念論集刊行委員会∥編 ひるぎ社 1986.12 K200.4/KY9 p157 -
3 ぞくぞく!目からウロコの琉球・沖縄史 上里 隆史∥著 ボーダーインク 2010.10 K200.4/U52 p120 -
4 浦添市史 第4巻 資料編3 浦添市史編集委員会∥編 浦添市教育委員会 1983.3 K22/U84/4 p310 -
5 北中城村史 第2巻 民俗編 北中城村史編纂委員会∥編 北中城村役所 1996.3 K22/KI69/2 p366 -
6 古琉球三山由来記集 東江 長太郎∥著 金城 善 那覇出版社 1989.3 K201/A19 p77
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000103747