レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年02月07日
- 登録日時
- 2014/02/07 16:11
- 更新日時
- 2014/06/25 13:05
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2014-001
- 質問
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解決
明治時代に医者になった江間調子について書かれている文献を知りたい
- 回答
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以下の資料に記載がありました。
(1)『日本女医史』
p.109・・・“高橋瑞子の玄関番をしながら、二年間の学校生活で鮮かに医者の免状を取ってしまった後の江間調子もいた。”
p.132・・・“女医では、後に名古屋に開業して男医以上に流行したがすでに物故した江間調子、”
p.239・・・関東大震災時に名古屋女医会として義捐金を送った中の一人として名前が挙がっています。
(2)『吉岡弥生 吉岡弥生伝 (人間の記録)』
p.129・・・“高橋さんのお弟子さんにあたる江間調子さん”
p.135・・・“女医になった人で高橋さんの世話になったのは、中原篷子さんと江間調子さんぐらいのものだったでしょう。”
p.151・・・“江間調子(旧姓久田)さんもずば抜けた勉強家で、高橋瑞子さんの玄関番をしながら、二年ぐらい学校に通って鮮やかに医者の免状をとりました。”
(3)『愛知県史 資料編32 近代9 社会・社会運動1』
p.76-77・・・資料として採録されている『女細見(抄)』(1910年(明治43)2-3月)の中に名前が出てきます。“市中の女医 何事も女に関することゝあれば決して人後に落ちぬが、名古屋の誇である。然し、女医は遺憾ながら、名古屋市中に僅に三人より居らぬ。その御連名を申上げると、左の通り(中略)婦人科小児科 江間ちよう子”“女医の収入(中略)当市中で開業の女医伊藤照子さんや江間ちよう子さんは、月八十円以上の収入はあるものと見て大差はない。”
(4)「日本女医史の研究(二):高橋瑞子」吉岡博人(『東京女医学会雑誌2(1)』 1932年) (http://hdl.handle.net/10470/16099)
p.129・・・江間調子が高橋瑞子について語った内容が収録されています。
- 回答プロセス
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(1)当館の所蔵資料のうち、以下のものには記載がありませんでした。
『大日本女性人名辞書』 高群逸枝/著 厚生閣 1936年
『大日本女性人名辞書 増補』 高群逸枝/著 厚生閣 1939年
『大日本女性人名辞書 改訂』 高群逸枝/著 厚生閣 1942年
『婦人年鑑 昭和23年』 日本婦人新聞社 1958年
『日本女性人名辞典』 日本図書センター 1993年
『日本人物情報大系 8 復刻 女性録編』(『婦人年鑑 昭和11年版~15年』収録) 芳賀登/[ほか]編集 皓星社 1999年
『日本女医会百年史』 『日本女医会百年史』編集委員会/編集 日本女医会 2002年
(2)インターネットのGoogleでブック検索をしたところ、回答に挙げた資料がヒットしました。
- 事前調査事項
- NDC
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- 医学 (490 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『日本女医史』 日本女医会/編 日本女医会 1962年 p.109,132,239
- 『吉岡弥生 吉岡弥生伝 (人間の記録)』 吉岡弥生/著 日本図書センター 1998年 p.129,135,151 , ISBN 4-8205-4308-3
- 『愛知県史 資料編32 近代9 社会・社会運動1』 愛知県史編さん委員会/編集 愛知県 2002年 p.76-77
- 「日本女医史の研究(二):高橋瑞子」吉岡博人(『東京女医学会雑誌2(1)』p.129 1932年) (http://hdl.handle.net/10470/16099)
- キーワード
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- 江間調子
- 医者
- 女医
- 人物―名古屋市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000149010