レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/01/05
- 登録日時
- 2010/10/31 02:00
- 更新日時
- 2010/10/31 02:00
- 管理番号
- 千県中参考-2010-0009
- 質問
-
解決
六地蔵のデザインの成立について
- 回答
-
日本印度学仏教学会ホームページのINBUSデータベース、
国立情報学研究所の論文データベースCiNii(サイニイ)で
「六地蔵」や「地蔵」の論文を検索すると、次の論文が見つかりました。
星野俊英「六地蔵信仰に於ける造像の諸形式」
星野俊英「六地蔵塔の調査報告 六地蔵信仰に於ける造像の諸形式」
六地蔵や地蔵について調べると、直接デザインの成立についての所蔵資料は見当たりませんが、次の資料を総合的に見ると、参考になります。
真鍋広済「六地蔵と六地蔵巡り」『講座日本の巡礼1 本尊巡礼』p233-240 のうちp233-234に次の記載があります。
天永元年(1110)か同二年の作と考えられる「今昔物語」巻十七
「第二十三話の玉祖惟高(たまおやのこれたか)の霊験譚
玉祖惟高が病気のため落命し、冥途に赴き、広い野原の真中で全く未知に迷ってしまい、悲しみの涙にくれ果てていると、何処からとも知れず容姿端麗なる六人の小僧が現れ、そのうち手に香炉を持している一人が声をかけていうには、「汝我等を知れりや否や。我等をば六地蔵といふ。六道の衆生のために六種の形を現せり。抑々汝神官の末葉なりといへども、年来我が誓を信じて懃に憑めり。汝早く本国に帰りて、かくの如きの六体の形を顕はし造りて、心を致して恭敬すべし。我等は此れより南方にあり。」
といったかと思ふと、ふっと自分は蘇生したのであったが、
その時此の世では既に三個日を経過していた。処で冥途で出逢った六人の小僧は、その一人は手に香炉を捧げ、一人は掌を合せ、一人は宝珠を持ち、一人は錫杖を執り、一人は花筥を手にし、残りの一人は念珠を所持していたので、蘇生したる惟高は直ちにこれ等六体の姿を等身綵色の形像に造顕し、
三間四面の草堂を建立してこれを安置し、至心に開眼供養を営み、寺をば六地蔵堂と名づけたと伝えられる。」
『新編日本地蔵辞典』
「六地蔵の形像」:p438-439 に説明と付図があります。
「六地蔵の形像は悉く鬚髪を剃除して、袈裟を通肩に被着して此丘形をしているが、唯印契と所持の三摩耶形の差別によって、六地蔵となる。
(以下省略 六地蔵それぞれの形像を記載している。)」
また、六地蔵や各地の六地蔵の解説についてp323-332にあります。
『地蔵尊の研究』
「9地蔵菩薩の尊形」のp125-129に
六地蔵像を造顕しようとする場合の考慮についての記載があります。六地蔵について普通一般、「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」の六地蔵、「覚禅鈔」の六地蔵などのそれぞれの説明があります。
『地蔵菩薩の研究』「第四 造像章」p62-72には、地蔵についての造像の記載があります。
『仏教民俗と祖先祭祀』「第1章 地蔵信仰」
「第二節 地蔵・盲僧・小野氏 一 六地蔵巡り:p38-42
のうちp39に
「京都の六地蔵とは、大善寺所蔵の「六地蔵縁起」(寛文五年(一六六五)写本 一巻)に、もと小野篁の造像の六地蔵を平清盛が、やはり、西光に命じて、御菩薩池、山科、鳥羽、桂、常盤の六ヵ所に一体ずつわけて祀られたものである…」
「第五節 京都六地蔵巡りと地蔵盆の事」:p117-129
六ヵ所にあるので六地蔵めぐりと呼んでいる。
田中久夫「小野篁と地蔵信仰と閻魔王宮」『宗教民俗論の展開と課題』p281-302のうち、p285に
「「六地蔵」では小野篁が仁寿三年に自ら地獄に赴き地蔵菩薩と出会い、それをもって、一木で六体の地蔵を刻み山科の六地蔵に安置したというのであるが、…」とあります。
『地蔵信仰』「三 平安貴族社会と地蔵信仰」
六地蔵については、p63-73に記載があります。p66では、
「六地蔵について説いている経典は、すべて日本で、
平安末期か鎌倉初期に偽撰されたものであった。
それらは台密や東密の僧侶の意楽―個人的意向―で作り出されたのだから、六地蔵の名称や形、あるいは六道への配当などが、はっきりした教義的うらづけのないまま、区々として一定しないのは、当然である。」としています。
『地蔵菩薩』3 地蔵菩薩の種類 六地蔵の形相の意味:p103-108「六種の異なった地蔵菩薩像の造立は、おそらく鎌倉時代以降から始められたものと考えられ、…」とあります。
『石仏入門』p49-53に「六地蔵」の図と説明があります。
『武蔵野の地蔵尊(都内編)』
真性寺の江戸六地蔵ほか:p29-30 には、
藤原政義の作としている。
品川寺の江戸六地蔵ほか:p189-190
鋳物師は藤原政義としている。
『造像銘記集成』
「1464 東京 真性寺 銅造地蔵菩薩坐像」p670
背面陰刻銘 と 前衿部陰刻銘 の記載があります。
製作年:正徳四年(一七一四)製作者:鋳物師太田駿河守藤原政儀
『関東彫刻の研究』
p399に銘文集の
248真性寺地蔵菩薩坐像 の記載があります。
『一四巻本地蔵菩薩霊験記 下』
地蔵信仰・地蔵説話文献目録:p471-500所収
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 仏像 (718 9版)
- 参考資料
-
-
星野俊英「六地蔵信仰に於ける造像の諸形式」
『大正大學研究紀要、佛教學部・文學部』(46)p1-42(1961.3) -
星野俊英「六地蔵塔の調査報告 六地蔵信仰に於ける造像の諸形式」『日本仏教学会年報』26 - 真鍋広済「六地蔵と六地蔵巡り」『講座日本の巡礼1 本尊巡礼』(雄山閣出版 1996 県立中央・東部図書館所蔵) (0105063599)
- 『新編日本地蔵辞典』(本山桂川著 奥村寛純増訂 村田書店 1989)県立中央・東部図書館所蔵 (9102906226)
- 『地蔵尊の研究』(真鍋広済著 磯部甲陽堂 1941)県立中央図書館所蔵 (9102388499)
- 『地蔵菩薩の研究』(真鍋広済著 三密堂書店 1960 1987)県立中央図書館所蔵 (9102388505)
- 『仏教民俗と祖先祭祀』(田中久夫著 永田文昌堂 1986)県立中央図書館所蔵 (9101618048)
- 田中久夫「小野篁と地蔵信仰と閻魔王宮」『宗教民俗論の展開と課題』(伊藤唯真編 法蔵館 2002)県立中央・東部図書館所蔵 (0105725120)
- 『地蔵信仰』(速水侑著 塙書房 1975)県立中央図書館所蔵 (9101615743)
- 『地蔵菩薩』(望月信成著 学生社 1989)県立東部図書館所蔵 (2100731638)
- 『石仏入門』(日下部朝一郎著 国書刊行会 1972)県立中央図書館所蔵 (9102728563)
- 『武蔵野の地蔵尊(都内編)』(三吉朋十著 有峰書店 1975)県立中央図書館所蔵 (9101617004)
- 『造像銘記集成』(久野健編 東京堂出版 1985)県立中央図書館所蔵 (9102943471)
- 『関東彫刻の研究』(久野健編 学生社 1964)県立中央図書館所蔵 (9102642469)
- 『一四巻本地蔵菩薩霊験記 下』(榎本千賀〔ほか〕編 大島建彦監修 三弥生書店 2003)県立東部図書館所蔵 (2101652459)
-
日本印度学仏教学会ホームページの<インド学仏教学論文データベース(INBUDSデータベース)>(http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/INBUDS/search.php)
-
星野俊英「六地蔵信仰に於ける造像の諸形式」
- キーワード
-
- 六地蔵
- 地蔵
- 石造物
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000073070