レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年06月11日
- 登録日時
- 2013/08/23 12:15
- 更新日時
- 2013/10/18 09:48
- 管理番号
- 相市-H25-002
- 質問
-
未解決
相模原市内を流れる鳩川が1440年頃に氾濫したか。していたら、その内容に関する資料を見たい。
(1440年頃にあった相模川の氾濫で心岩寺(しんがんじ)が流されているが、近くは流された記録がないので、鳩川が氾濫したのではないかと思い、資料を探している。)
- 回答
-
鳩川の氾濫に関する資料は見つからなかった。
- 回答プロセス
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質問者の話から、「心巌寺(しんがんじ)」、「座間」、「相模川」、「鳩川」がキーワードとなりそうなことを確認。
それぞれのキーワードをそのまま検索に使用すると、ノイズが多かったり、逆にヒットがない状態なので、
ブラウジングで直接資料へ当たることとした。
まず、心巌寺が座間市にあるということから、座間市史を確認することとした。
『座間市史 5 通史編(上)』 座間市/編 座間市 2010 〔K6-21・座間・s23447279〕
p.617~620 心岩寺(臨済宗)の項あり。寺号に変遷があるという話のとおり、心願寺→心巌寺→心岩寺と
改称したようす。
p.618 L13~15に相模川の洪水によって堂宇が流された旨の記述あり。文中にいくつか参考資料名が
出ていたので、そちらも当たってみることとした。
『建長寺史 末寺編』 建長寺史編集委員会/編 大本山建長寺 1977 〔K5-18・鎌倉・s22321350〕
p.334~336 心岩寺の項あり。 由緒・略歴に相模川の大洪水で流失があった旨の記述はあるが、
鳩川は出てこない。
『皇国地誌村誌』 座間市立図書館市史編纂係 1992 〔K6-29・座間・s09724121〕
p.31 下段L5 心岩寺の項あり。相模川の洪水によって堂宇が流された旨の記述あり。
鳩川は出てこない。
『全国寺院名鑑 北海道・東北・関東編』 全日本仏教会/編 史学センター 1976 〔R185・s00824128〕
p.430 2~3段目 心岩寺の項あり。こちらも相模川の洪水となっている。
次に、相模原市史の索引から、鳩川の情報に当たることとした。鳩川と付くキーワードがいくつかあるため、
「鳩川」と「鳩川の水害」の項を確認することとした。
『相模原市史 第3巻』 相模原市 1969 〔K1-21・s16460875〕
p.439 L2 昭和初期に磯部へ放水路を設けたことにより、鳩川による水害を免れるようになった旨の記述あり。
上部に、明治11年鳩川水害橋梁修繕費表(表159)があるが、探している情報は1400年代のため、
時代がずれている。
『相模原市史 第2巻』 相模原市 1967 〔K1-21・s23586571〕
p.311~ 第4節 相模川の河川 有鹿さまの水もらい の項に鳩川が頻出する。しかし、心岩寺の辺りの水害
には特にふれていない。
鳩川は相模川水系のようなので、相模川に関する資料から当たってみることとした。
『相模川流域誌 本編 上』 相模川流域誌編纂委員会/編 国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所
2010 〔K0-51・s23470792〕
p.29 1.5.5 相模野台地-流路変遷を物語る段丘- の項に相模野台地の3段の段丘の断面図が掲載され
ており、田名原段丘の中に鳩川は出てくるが、他に鳩川に関する情報は出てこない。
(目次はあるが索引がないため、他の鳩川に関する記述を見逃している可能性あり。)
『ぶらっと相模川 訪ねてみよう今むかし』 神奈川県都市部なぎさ・相模川プラン推進室 1992
〔K0-29・s23700800〕
p.94 心岩寺について記載あり。
「もとは河原宿の西中学校の東側にあったが、文安年間(1444年~1448年)の相模川の洪水で流出してしま
い、それを文明2年(1470年)に当時の領主・白井是房が現在の場所に再建したと伝えられる」
※〔 〕内は、自館の請求記号・資料コードです。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 鳩川
- 心岩寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000136221