レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/06/24
- 登録日時
- 2009/11/11 02:11
- 更新日時
- 2009/12/02 11:02
- 管理番号
- 埼浦-2009-029
- 質問
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解決
江戸時代の俳諧師、久米逸淵(1790-1861)の書簡をまとめた本はあるか。
- 回答
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書簡をまとめた本は見あたらなかったが、書簡が掲載されている以下の資料を紹介した。
『児玉町史 近世資料編』(児玉町 1990)
p602-603に久米逸淵の書簡が掲載されている。p600の解説によると、「逸淵の書状は児玉・本庄付近はもとより群馬県にも見られる」とある。
『児玉町史史料調査報告 13 久米逸淵小伝』(児玉町教育委員会 1990)
久米逸淵の書簡が散見される。
『新編埼玉県史 資料編12 近世3 文化』(埼玉県 1982)
p921に、久米逸淵から小室元貞への書簡が1通掲載されている。
『俳人久米逸淵』(しの木弘明 群馬出版センター 1998)
久米逸淵の書簡が散見される。
奥田豊「久米逸淵の書状について」(『埼玉史談 第49巻第3号』p26-33 埼玉県郷土文化会 2002)
書状とその翻刻が1通掲載されている。
※目録が掲載されている資料
『本庄市史 資料編』(本庄市 1976)
p文化172-173の俳人書簡目録に、久米逸淵の書簡の目録が掲載されている。
『小室家文書目録』(埼玉県立文書館 1997)
p100-101に久米逸淵の書状の目録が掲載されている。
※書簡ではないが、参考に紹介した資料は下記の2点。
『橿寮碩布と春秋庵をめぐる人々』(内野勝裕 まつやま書房 1986)
p25-26によると、逸淵が「春秋庵碩布三回忌追福集」(仮題、東京大学総合図書館酒竹文庫蔵)の序文を書いているとのことで、全文がp26に掲載されている。
『本庄市史 通史編2』(本庄市 1989)
p1009-1017「久米逸淵と本庄」の項、p1014-1015「遺言書之事」が掲載されている。
- 回答プロセス
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久米逸淵に関係の深い、本庄、児玉、高崎の歴史関係資料と、小室家(都幾川)、川村碩布(毛呂山)に関する資料を調査した。
回答以外の調査済み資料は以下のとおり。
内野勝裕「児玉逸淵ノート(1)」(『あゆみ 14』)
内野勝裕「毛呂俳諧の草分け達児玉逸渕ノート(2)」(『あゆみ 16』)
内野勝裕「児玉逸淵ノート(3)」(『あゆみ 17』)
斉藤紫石「俳人久米逸淵に就て」(『埼玉史談 第8巻第4号』)
『都幾川村史資料 4-1~4-6』
『都幾川村史 通史編』
『新編高崎市史 資料編8 近世』
『俳人久米逸淵に就て』
- 事前調査事項
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情報源:「埼玉人物事典」(埼玉県 1998)p307 久米逸淵 寛政2-文久1(1790-1861)「江戸時代後期の俳諧師。児玉郡八幡山町(児玉町)生まれ。」とあり。
- NDC
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- 詩歌 (911 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『児玉町史 近世資料編』(児玉町 1990)
- 『児玉町史史料調査報告 13 久米逸淵小伝』(児玉町教育委員会 1990)
- 『新編埼玉県史 資料編12 近世3 文化』(埼玉県 1982)
- 『俳人久米逸淵』(しの木弘明 群馬出版センター 1998)
- 『埼玉史談 第49巻第3号』(埼玉県郷土文化会 2002)
- 『本庄市史 資料編』(本庄市 1976)
- 『小室家文書目録』(埼玉県立文書館 1997)
- キーワード
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- 久米 逸淵(クメ イツエン)
- 俳人-俳諧-江戸時代
- 埼玉県-児玉町-本庄市
- 郷土資料
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000059371