レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年05月31日
- 登録日時
- 2012/08/30 14:32
- 更新日時
- 2012/12/07 11:27
- 管理番号
- 埼久-2012-058
- 質問
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解決
戦国時代の人物で、細田九郞左衛門義久(細田河内守忠次の子孫)に関する資(史)料が見たい。
- 回答
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以下図書4点、雑誌1点を提供した。
『埼玉苗字辞典 4』(茂木和平著 茂木和平 2008)
『志木市史 通史編 上』(志木市 1990)
『志木市史 民俗資料編1』(志木市編 志木市 1985)
『志木市史 中世資料編』(志木市 1986)
神山健吉著「細田氏寸考」(『郷土志木 17』p32-34 志木市郷土史研究会 1988)
- 回答プロセス
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『埼玉苗字辞典 4』(茂木和平著 茂木和平 2008)
p6996-6997「[細田]入間郡宗岡村(志木市)」に、細田九郞左衛門義久及び子孫についての記述あり。
『志木市史 通史編 上』(志木市 1990)
p252-253
「細田家の先祖は細田九郞左衛門義久といい、隼人正の官途名を帯びて北条氏照に仕え、滝の城(所沢市域)の家老職をつとめていたが、天正十八年の落城の際、上宗岡の地に落ちのびて土着したと伝えられている。(中略)この細田九郞左衛門が、『新編武蔵風土記稿』巻九七・多摩郡九・上柚木村の条にみえる滝山城主大石某の家老細田河内守と関係があるのかどうかは不明であるが、上宗岡の細田家が北条氏照の家臣の後裔であることは疑いないだろう。(後略)」
『志木市史 中世資料編』(志木市 1986)
p413-415「位牌」の項
p414 『新編武蔵風土記稿[第3期]5』「上柚木村」の西光寺部分が再録されている。
p415 細田河内守某に関する記述があるが、細田河内守某と細田九郞左衛門義久の関係については判然としない。
「(前略)そして細田家の祖、九郞左衛門義久は、この河内守の子と思われ、氏照が大石氏の旧臣を「滝山衆」として掌握した時点で父子ともに彼の配下に属したが、父河内守の死後そのあとを継ぎ、滝ノ城の家老職をつとめたのかも知れない。」
『志木市史 民俗資料編1』(志木市編 志木市 1985)
p28に、細田九郞左衛門義久に関する記述として、「上宗岡の細田家は、柳瀬の滝の城の落武者であったといい」との記述があるのみ。
神山健吉著「細田氏寸考」(『郷土志木 17』p32-34 志木市郷土史研究会 1988)
「細田家の後北条氏との関係を示すもの」に、「(前略)そのほか明治になってからのものと思われるものながら、滝の城(所沢市大字城)の城主をも兼ねていた北条氏照の位牌をも所蔵しているのが注目される。これは同家の先祖が滝の城の家老であったという伝承を明治になっても伝えていたため(以下略)」との記述あり。
その他調査済み資料は以下のとおり
『新編武蔵風土記稿[第3期]8』(蘆田伊人編集校訂 雄山閣 1977)
p274-276「宗岡村」には該当する記述なし。
『しきふるさと史話』(神山健吉〔ほか〕著 志木市教育委員会 1994)
『所沢市史 上』(所沢市史編さん委員会編 所沢市編 所沢市 1991)
「滝の城跡」に該当の記述なし。
『北条史料集』(萩原竜夫編 人物往来社 1966)
『大石氏の研究』(杉山博編 栗原仲道編 名著出版 1975)
p117-「武州滝の城」該当記述なし。
『志木風土記 1-10』
『志木風土記 8』(志木市総務部市史編さん室編 志木市 1987)
p13-57「細田日記抄」細田鍋蔵氏の日記(明治39-昭和22)該当記述なし。
『志木風土記 3』(志木市総務部市史編さん室編 志木市 1982)
p60-96「宗岡郷土誌」該当記述なし。
『志木風土記 4』(志木市総務部市史編さん室編 志木市 1983)
p112-120「続宗岡郷土誌」該当記述なし。
『志木市郷土誌』(志木市教育委員会編 志木市 1978)
『埼玉県入間郡誌』(千秋社 2003)(『入間郡誌』(謙受堂書店大正元年刊)の複製)
北条氏家臣団、郷帳資料の調査
『新編埼玉県史 資料編8(中世4)記録』(埼玉県編 埼玉県 1986)
p689-692「北條家人数覚書」
p693-697「関東八州諸城覚書」
p698-702「関東八州城之覚」
p702-704「小田原一手役書立写」
「小田原衆所領役帳」『新編埼玉県史 資料編8(中世4)記録』(埼玉県編 埼玉県 1986)
『分限帳集成 埼玉県史調査報告書』(埼玉県県民部県史編さん室編 埼玉県県民部県史編さん室 1987)内容は該当せず。
『戦国大名系譜人名事典 東国編』(山本大編 小和田哲男編 新人物往来社 1985)
p411〈北条氏照(ほうじょう うじてる)〉の項に家臣に関する記載なし。
『戦国大名家臣団事典 東国編』(山本大編 小和田哲男編 新人物往来社 1981)
p310〈北条氏照(ほうじょう うじてる)〉の項に家臣に関する記載なし。
p409-425「人名索引」に「細田」姓の家臣名の記載なし。
『後北条氏家臣団人名辞典』(下山治久編 東京堂出版 2006)
〈細田忠次〉〈河内守〉では該当項目なし。
『戰國遺文 後北条氏編 6 補遺・人名索引・地名索引・寺社名索引』(下山治久編 黒田基樹編 東京堂出版 1995)
人名索引に〈細田忠次〉の項なし。〈三河守〉の項目はあるが、別人。
寺社名索引に〈西光寺〉の項目はあるが、別の寺。
『武蔵田園簿』(北島正元校訂 近藤出版社 1977)
p53 人物索引では、「細田嘉(加)右衛門康次」のみ。
『寛政重修諸家譜 15』p98の「康次」はこの人物と思われる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 7版)
- 参考資料
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- 『埼玉苗字辞典 4』(茂木和平著 茂木和平 2008)
- 『志木市史 通史編 上』(志木市 1990)
- 『志木市史 民俗資料編1』(志木市編 志木市 1985)
- 『志木市史 中世資料編』(志木市 1986)
- 神山健吉「細田氏寸考」(『郷土志木 17』p32-34 志木市郷土史研究会 1988)
- キーワード
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- 細田 九郞左衛門義久(ホソダ クロウザエモンヨシヒサ)
- 志木市-歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000110728