レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/05/27
- 登録日時
- 2017/12/01 00:30
- 更新日時
- 2017/12/01 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-170087
- 質問
-
解決
日本の洋服や着物等の,縞(模様)の歴史についての資料を探している。
- 回答
-
以下の資料をご紹介します。御参考まで,縞の歴史について記載されている部分を抜粋しましたが,他の箇所にも記載があります。
※【 】内は当館請求記号です。
資料1 国史大辞典編集委員会『国史大辞典 7』吉川弘文館, 1986【210.03/コ4/7R】
p.95「縞」の項
「(前略)わが国でも前述のように、奈良時代の経錦にその萌芽がみられるが、衣服への利用面からは、中世、段や格子の織物の方が早く発達したように考えられる。しかし、段・格子を含めて縞織物は室町時代でも地下(じげ)の人の着るものであって、貴人は下着にも着用しなかったほど、低い地位に置かれていた。(後略)」
資料2 外山美艸『縞事典』源流社, 2004【753.3/トミ047】
pp.21-22「まえがき」の項
「縞文様の布は、安土桃山期以前から中国や南方の島渡りで、わが国に渡来した。
江戸期には武家諸法度の奢侈禁止の令を遠慮なくかいくぐり、縞文様は日本の風土によく馴染み、この島国の人の肌に触れていとしまれ、新しい色柄を生みながら常に衣文化の本流にあって、江戸時代の封建の世も、多くの人々の生活の表面で気取らぬおしゃれの光芒を放ち続けてきた。(後略)」
資料3 山崎青樹『草木染日本の縞』美術出版社, 2014【753/ヤセ142】
pp.8-20「序章 縞の歴史」の項
「縞の定義は二色以上の糸を経と緯、または経緯に一定または不定の間隔をもって織り込んでいった経縞(竪縞、縦縞)、緯縞(横縞)、経緯縞(竪横縞、格子縞)をいうが、さらに織の組織の変化により、型染などで作られた蛇線によるよろけ縞や斜線による斜縞などができた。(後略)」
資料4 丸山伸彦 編著『江戸のきものと衣生活』小学館, 2007【383.1/076】
pp.28-29「縞」の項
「今日、筋模様を「縞」というのは、間道・唐桟・ベンガラ縞など舶来の優品に縞柄が多く、これらが南方の島から舶載されたという意味で「島渡り」とか「島物」と称されたことに由来する。(後略)」
資料5 長崎巌 監修, 弓岡勝美 編『きもの文様図鑑』平凡社, 2005【753/キモ056】
pp.204-205「縞(しま) 格子(こうし)」の項
「(前略)縦縞の織物が本格的に日本に伝わったのは室町時代からで、いわゆる名物裂の中に「間道(かんとう)」という縞物が見られる。桃山から江戸時代初期には、日中貿易や南蛮貿易により木綿の縞織物がもたらされ、「唐桟(とうざん)」といって喜ばれ、時を同じくして日本でも綿花の栽培が広まり、江戸時代中期には地産業として錦織物を奨励する藩も多くなった。(後略)」
pp.206-209「縞帳」の項
「江戸時代後期から明治にかけて、商品経済がまだ一般化していない頃、全国各地の農村で女性たちは自家用の縞や格子を織った。家族のために糸を作り、織り、仕立て、手入れをして着せる作業は婦女子の大変な仕事であり、甲斐性であった。縞帳は、そんな女たちが織り上げた布の端を切り取って紙に張り付け、柄の心覚えとしたものが基になっている。(後略)」
資料6 弓岡勝美 編,藤井健三 監修『帯と文様』世界文化社, 2008【753.3/オヒ086】
pp.118-119「縞」の項
「中世まで、横方向の縞を段、縦方向の縞を筋と呼んでいた。しかし、室町時代に、南方貿易で珍しい織物が舶載され、その多くが段や筋、格子の織物であったことから、南の島々から舶載された織物を嶋物と呼んで、縞の字をあてるようになった。(後略)」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 染織工芸 (753 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 文様
- 染物
- 織物
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 社会人
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000225716