レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月26日
- 登録日時
- 2013/04/28 10:14
- 更新日時
- 2014/04/08 19:15
- 管理番号
- 茨201329
- 質問
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解決
小川芋銭の「安寺持方の秋」という明治38年9月17日の茨城新聞に掲載された漫画に,烈公(徳川斉昭)より羽織を賜ったというその土地の人物が,「神永◎助」と書かれていた。◎の部分が不鮮明で正確に読み取れず,確認したい。
- 回答
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1.『盲帖の里を解く』(須賀川芳春,筑波書林,1986)
P10~ 「持方・安寺の戸数」には,「藤兵衛が最初この地に土着した時は,一族の神長は七戸であったろう。延享(一七四〇)の頃の元兵衛の子長男「元介」次男「元十」とあり・・・この,神長の一族の者が持方部落の元祖,藤兵衛であったと思われる・・・」と記載されている。
P16~P17 「持方の家系譜(九戸)」には,「この家系譜は,年代別に古文書より抽出したもので,宝歴以前は記録がない。元祖藤兵衛は元介の家系譜である」とし,別表で家系譜が掲載されている。
P34~ 「第二節 斉昭と麻織の羽織」には,「尚,又,この時,麻織御紋付の御羽織御下げられ右場所より元介を本郷坪まで,御郡奉行跡に付け,御供を許され,御道すがら,色々部落の状況などをお尋ねになられた。」と記載されている。
P46~ 「第三節 部落の拝領品と伝説」には,「烈公様,元介をお側に召され,大層おほめになり,公お召しの御羽織を元介の方に掛て,山着にでも使えと言って下されたと言う。」とあり,その様子は「水戸歴世譚(親斉漫筆)によると・・・。又,庄屋の記録文書「御通之一件」には次のように書き残されている。・・・,拝領の御羽織が入れられている箱書には次のように記されている。・・・」と記載されている。
2.『秘境・安寺持方の由来』(茨城県農業史編さん会,茨城県農業史編さん会,1983)
P5~ 「三 村づくりの理想郷」には「烈公が久慈郡小生瀬村の庄屋,大藤家に二泊したとき,男体山へ登る道案内を申し使ったのが,持方の支配人元介であった」と記載されている。
3.『近世史料 4』(茨城県史編さん近世史第1部会,茨城県,1975)
P45~P47 「高倉邑内 持方坪御年貢納辻帳」には,「持方神永,須賀川の両姓計り,外の姓なし,藤兵衛と云者元介が本家也,・・・斉昭卿男体御登山の時,源義公様,源粛公様御案内之例を以,元介御先御案内申付ル也,・・・」と記載されている。
4.『史窓 第16号』(茨城県立水戸第一高等学校史学会,茨城県立水戸第一高等学校史学会,1964)
P69~ 「安寺・持方探訪紀行」には,「その藤兵衛の子孫は元衛又は元介と云って代々部落の支配人をつとめたが・・・」と記載されている。
- 回答プロセス
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『安寺持方おもしろばなし 茨城の民話3』(今瀬文也,茨城新聞社,2005)
『日本の民話 4』(研秀出版,1980)
『東海村史 民俗編」(東海村史編さん委員会,東海村,1992)
などの,民話そのものが掲載されている資料を確認したが,庄屋や住民の名前は記載されていない。
そのため,安寺持方地域の歴史関係資料を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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- 須賀川芳春. 盲帖の里を解く. 筑波書林, 1986. (当館請求記号 L202-スイ, 当館資料番号 001052387600)
- 茨城県農業史編さん会. 秘境・安寺持方の由来. 茨城県農業史編さん会, 1983. (当館請求記号 L612-32-35, 当館資料番号 001052414784)
- 茨城県史編さん近世史第1部会. 近世史料 4. 茨城県, 1975. (当館請求記号 L207-4-4, 当館資料番号 001052356704)
- 茨城県立水戸第一高等学校史学会. 史窓 第16号. 茨城県立水戸第一高等学校, 1964. (当館請求記号 L200-41-16, 当館資料番号 001052805544)
- キーワード
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- 安寺
- 持方
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000130840