レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/05/07
- 登録日時
- 2012/05/08 02:00
- 更新日時
- 2023/03/23 13:13
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-51
- 質問
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解決
嵯峨の薪炭(しんたん)業の盛衰を知りたい。
- 回答
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嵯峨は,大堰川地域の山々から供給される丹波薪の集荷地でした。大堰川を通行する舟や筏で運ばれ,嵯峨・梅津・桂の浜に陸揚げされましたが,量的には嵯峨が最も多く,安政(1854~1860)の頃には嵯峨地域の薪炭商は80軒近くに上りました。その頃の薪炭商は「木屋」と呼ばれ,薪小屋を持ち仲売と小売を兼ねていました。販路は京都市中に限られていたようです。
明治32年(1957)に京都-園部間に山陰線が開通し,水運から鉄道輸送へ変わると,嵯峨から二条駅へ集荷地が移り徐々に取扱量が減少しました。その後昭和に入りトラック輸送が始まると,丹波から問屋の倉庫へ直送されるようになりました。
石炭・重油・電気・ガスといった新しい熱源の出現と輸送方法の変化により,最盛期には80軒近くあった嵯峨の薪炭商は,昭和初期には20軒に減少し,戦後さらに衰退することになりました。
- 回答プロセス
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●【資料1】で“薪炭”を確認
“明治18年嵯峨着の丹波薪は38万束”
●京都市右京区(嵯峨地域)の地誌・史料を確認
【資料2】【資料3】…薪炭業の推移を詳細に記述
【資料4】【資料7】…簡単な記述
●材木関連の郷土資料を確認
【資料5】…江戸~昭和の薪炭商の詳細(やや専門的)
【資料6】…京都の林産物流通の変遷,嵯峨の薪炭商についても少し
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 地方自治.地方行政 (318 8版)
- 森林史.林業史.事情 (652 8版)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都大事典』(佐和隆研ほか/編 淡交社 1984) p523“薪炭”
- 【資料2】『郷土の今昔』(嵐山学区郷土誌研究会 1979) p178,351~400“三、薪炭編”
- 【資料3】『郷土の今昔 続』(嵐山学区郷土誌研究会 2002) p175~229“木材と薪炭”
- 【資料4】『右京 区制五十周年記念誌』(右京区制五十周年記念会 1983) p147~149“五、大堰川筏と木材・薪炭”
- 【資料5】『京都嵯峨材木史』(京都嵯峨材木史編纂委員会/編集 嵯峨材木株式会社 1972)
- 【資料6】『「木」の文化誌 京都の林業と林産物流通の変遷』(藤田彰典/著 清文社 1993) p114~116“丹波薪と嵯峨の薪屋”、161~163“嵯峨の製材業”
- 【資料7】『史料京都の歴史 14 右京区』(平凡社 1994) p438~440 “下嵯峨村・天竜村”
- キーワード
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- 薪炭
- 嵯峨
- 京都市右京区
- 下嵯峨
- 材木
- 大堰川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000105599