レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年04月08日
- 登録日時
- 2022/04/19 12:17
- 更新日時
- 2023/01/19 12:19
- 管理番号
- 北広島町2022-01
- 質問
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現在の広島県北広島町出身で晩年は呉市で活動していた画家小田宮華渓の資料はないか。
- 回答
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『山県郡巡り道中記』名田富太郎 p25,26
『山県郡史の研究』名田富太郎 p659
『千代田町史 民俗編』p275
『本地村史』 p24,25
『呉市史 第4巻』 p564
『広島の美術の系譜 戦前の作品を中心に』p79、85、87、88、89、90、91、92、94
に記述あり。
- 回答プロセス
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細かい出身地域が不明だったため、まず『山県郡巡り道中記』『山県郡史の研究』を参照。
『山県郡史の研究』の第四章第二節先覚小伝の項目に「和洋画家」の日本画界の一員として名前が挙げられていた。
『山県郡巡り道中記』の目次の「一、本地村」の中に「小田宮華渓」の項目あり。出生から死亡までのまとまった記述あり。記述内容から和田華岳の弟子であることが判明。和田華岳は現北広島町壬生出身の画家和田菁華の弟子なので『千代田町史 民俗編』「画家和田菁華一門」の項目を参照。和田一門の画系図に「小田宮華渓」の名前あり。
また『山県郡巡り道中記』から、出身地が現北広島町本地であることが判明したので『本地村史』を参照した。『山県郡巡り道中記』の記述を短くした内容が掲載されていた。
晩年を呉市で活動していたということから、広島県立図書館に『呉市史 第4巻』の内容を照会したところ「白燿会」という会を結成したメンバーの一人という記述があることが判明した。同様の記述が『広島の美術の系譜 戦前の作品を中心に』にもある。同書の年表に、展覧会出品作品のタイトルが掲載されている。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本画 (721 10版)
- 日本 (291 10版)
- 中国地方 (217 10版)
- 参考資料
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名田富太郎 著 , 名田, 富太郎, -1965. 山県郡巡り道中記 第2版. 名田朔郎, 1974.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001218111-00 -
名田富太郎 著 , 名田, 富太郎. 山県郡史の研究. 名田朔郎, 1953.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I082152645-00 -
千代田町 編 , 千代田町 (広島県). 千代田町史 民俗編. 千代田町, 2000.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002920969-00 -
本地村 (広島県). 本地村史. 本地村, 1950.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001185811-00 -
呉市史編さん委員会 編 , 呉市. 呉市史 第4巻. 呉市役所, 1976.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001122253-00 -
広島市現代美術館 編 , 広島市現代美術館. 広島の美術の系譜 : 戦前の作品を中心に 図録. 広島市現代美術館, 1991.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002404123-00
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名田富太郎 著 , 名田, 富太郎, -1965. 山県郡巡り道中記 第2版. 名田朔郎, 1974.
- キーワード
- 照会先
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- 広島県立図書館
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000315165