レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年03月18日
- 登録日時
- 2022/04/09 10:46
- 更新日時
- 2022/04/09 10:46
- 管理番号
- いわき総合-一般359
- 質問
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解決
会津若松市の飯盛山(いいもりやま)には、ローマ市から寄贈された碑と、ドイツから寄贈された碑があると聞いた。この2つの碑の碑文や、贈られた経緯などがわかる資料はあるか?
- 回答
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【資料①】『会津人群像 №35』(歴史春秋出版 2017)の連載記事「嗚呼 会津飯盛山 第4回」のP77に「ローマ碑」、P79に「ドイツ碑」の碑文と、経緯について記述がありました。
これによると、「ローマ碑」は、当時のイタリア首相のムッソリーニが白虎隊の悲話を聞き深く感銘し、昭和3(1928)年に贈ったものであることがわかりました。
「ドイツ碑」は、ドイツ大使館書記官ハッソウ・フォン・エッツドルフ博士が飯盛山を詣で、白虎隊士の行動に感動し、昭和10(1935)年に個人で寄贈したものであることがわかりました。
どちらの碑も、第二次世界大戦後に進駐軍により撤去されそうになりますが、後年、墓守らによって復元されています。
なお、【資料②】『会津人群像 №16』(歴史春秋出版 2010)にはローマ碑の写真が掲載されています。
また、Googleで「飯盛山 ドイツ碑」、「飯盛山 イタリア碑」といったキーワードで検索すると、次の情報がヒットしました。
【資料③】Webサイト「飯盛分店 公式サイト 飯盛山のみどころ」
http://www.iimoriyama.jp/iimori.html [最終アクセス2022.3.18]
碑の写真と戦後のエピソードが確認できます。
【資料④】「ドイツ記念碑と日新館の教育」(「福島大学教育実践研究紀要 第13号」)
https://www.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R000000215/1-165.pdf [最終アクセス2022.3.18]
ハッソウ・フォン・エッツドルフ博士の写真あり。
- 回答プロセス
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1.資料及びWebを調査
上記回答のとおり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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- 【資料①】『会津人群像 №35』[K/291/ア-35・1114086703]
- 【資料②】『会津人群像 №16』[K/291/ア-16・1111986434]
- 【資料③】Web「飯盛分店 公式サイト 飯盛山のみどころ」
- 【資料④】Web「ドイツ記念碑と日新館の教育」(「福島大学教育実践研究紀要 第13号」)
- キーワード
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- 白虎隊
- 飯盛山
- ローマ碑
- ドイツ碑
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000314876