レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/12/01
- 登録日時
- 2023/01/25 00:30
- 更新日時
- 2023/01/25 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-220129
- 質問
-
解決
仙台藩家臣の奥山氏が拝領した名取郡押分村二ノ倉浜にある屋敷に関する資料を探している。
- 回答
-
※【 】内は当館請求記号です。
1 下記の資料に名取郡押分村二ノ倉浜にある屋敷に関する記述がありましたので参考までに御紹介します。
資料1 岩沼市史編纂委員会編『岩沼市史』岩沼市, 1984【K221.1/イ2】
「第2章 明治以前の岩沼」-「第4節 江戸時代」-「一 藩政時代の岩沼」-「4 玉浦地区の拝領者」の項
pp.132-133「奥山氏以外の玉浦地区に領地を与えられた者は,奥山勘解由がある。奥山勘解由は奥山大学常良の子孫で本領黒川郡吉岡のほかに,押分村倉浜の内の林屋敷を拝領したがその時期は不明である。ただ宝永元年(一七〇四)に林屋敷の朝日山梵天寺の観音堂が寛文年中(一六六一~一六八〇)に焼失したのを再建していることが,安永九年(一七八〇)の梵天寺の書出に見られる(田村知左登文書)。奥山勘解由の林屋敷に居住した家臣は五三人で,現存する東小路,西小路の地名は当時の家臣の住居であろう。林屋敷は宝暦七年(一七五七)奥山主計の代に罪により所領の三分の二を減ぜられ,林屋敷は召上げられ,家中五三人は帰農した。同年林屋敷は但木土佐が拝領し幕末に至った。家中として八巻氏外五人が居住した。(後略)」
資料2 平凡社地方資料センター編『宮城県の地名』平凡社, 1987【K290.3/ミ43】
「岩沼市」-「押分村」の項
p.190「(前略)宝永元年(一七〇四)以前、二倉浜の内、林屋敷(現押分の北土手)が奥山勘解由領となっている(安永九年「梵天寺書出」田村知左登家文書)。宝暦七年(一七五七)奥山主計が罪科により所領三分の二を減ぜられて吉岡(現黒川郡大和町)から小野田(現加美郡小野田町)に所替になると,林屋敷は召上げられ吉岡とともに但木土佐に与えられた(伊達世臣家譜)。奥山氏の家中五三軒は帰農,但木氏の家中六軒が居住することとなった。東小路・西小路は奥山氏家中の屋敷跡といわれる。(後略)」
2 また,当館所蔵の絵図として下記があります。
資料3 名取郡二ノ倉村屋敷繪圖 写本(彩色) 61×43cm 1舖(『宮城県図書館所蔵絵図・地図解説目録』168【KD292/ナ4】)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
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- 岩沼市史編纂委員会/編. 岩沼市史. 岩沼市, 1984.1【K221.1/イ2】:
- 平凡社地方資料センター/編. 宮城県の地名. 平凡社, 1987【K290.3/ミ43/イ】:
- キーワード
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- 宮城県岩沼市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000327822