【紹介資料】
①『戦後史大事典 1945-2004』佐々木 毅/編 鶴見 俊輔/編 三省堂 2005年
p.898 ヤミいち
p.899 やみごめ 「…農村から都市へ闇米を運びこむ運び屋は、都市産業崩壊のなかでは復員兵、植民地からの引き上げ者などの格好の就業の場となった。」
p.728 のうぎょう 「…大部分の農家には…、自家飯米までもコスト割れの低価格で供出させられた」
②『現代世相風俗史年表 1945→2008』世相風俗観察会/編 河出書房新社 2009年
p.6 「一九四五年●昭和二〇年」において闇市に言及あり。「…値段は驚くほど高く、10月の闇値は米一升七〇円(基準価格七三銭※)、…」(※七三銭:原文ママ)
「…国鉄ダイヤ大幅削減のあおりで鈴なりの汽車に乗って、農村に食料を買い出しに…」
③『昭和史事典 事件・世相・記録』昭和史研究会/編 講談社 1984年
時系列、それと別にその年特有な出来事などが取り上げられている。
p.344 闇市の説明あり。
p.368 1945年10月現在の基準価格と闇値の掲載あり(警視庁調べ)。白米1升 53銭→70円。
④『昭和史の事典』佐々木 隆爾/編 東京堂出版 1995年
p.218 「ヤミ市」の見出しあり。「…復員してきた若者を中心に、都市と農村を往復して食糧などを運び込む「担ぎ屋」と、これをヤミ市で売る「ヤミ屋」を兼ねた商人が急増した。」「…四五年一一月…、新宿…新橋などに大規模なヤミ市が開かれた。こうしたヤミ市の用地を勝手に管理し、出店者から「ショバ代」を取ってヤクザ組織が広がった。」
⑤『昭和・平成史年表 1926▷2019』平凡社/編 平凡社 2019年
p.33 昭和14年 ヤミ・禁制品横行
p.45 昭和20年 「闇市の原点」の見出しあり。ご飯茶碗1円20銭、とある。
p.47 昭和21年 「闇市の相場」の見出しで昭和21年2月ごろの相場が掲載されているが、米については無し。「闇を拒否した山口判事が死亡」の見出しあり。闇物資を口にせず、翌年死亡した旨。
⑥『完結昭和国勢総覧 第2巻』東洋経済新報社/編 東洋経済新報社 1991年
⑦『新修福岡市史 民俗編2 ひとと人々』福岡市史編集委員会/編集 福岡市 [福岡] 2015年
p.221~「第七章 引揚者たち」より。
「博多港上陸後、市内に滞留した引揚者たちは、闇市での商売を行う者が少なくなかった。」(p.221)
⑧『<ヤミ市>文化論』
井川 充雄/編 石川 巧/編 ひつじ書房 2017年
p.48~「…彼らの前職を見ると、第一に中小商業者、次いで軍需工場の失業者、復員軍人、軍人遺家族や傷痍軍人、海外引揚者、半失業者が多かったと言う。…また、このほかにも闇市を組織した人々が存在した。一つは在日外国人で…。さらに、引揚者が作った闇市・マーケットも多数存在した。」
p.54「テキヤの歴史的な系譜については、・・・よくわかっていないことも多い」
⑨『盛り場はヤミ市から生まれた』橋本 健二/編著 初田 香成/編著 青弓社 2013年
p.47~「ヤミ市営業者のライフヒストリー」
「…ヤミ市形成の実態を明らかにするために…当時のマーケットの営業者8人…の個人史について聞き取りをおこなった。」とあり、戦前も商売をしていた人のほか、戦後の新規開業者について「…軍需工場倒産による失業者、軍人戦災遺族、復員軍人など…」(p.48)とある。
⑩『歴史への招待 21 昭和編 [1]』 日本放送出版協会 1982年
p.211 昭和20年、東京における初期のヤミ市はプロの露天商であるテキ屋が主力であるとし、昭和21年に警視庁調査によると8割が素人露天商で、前職とその割合が記載されている。
p.211 白米1升の基準価格(公定)が0.53円、ヤミ値が70円、とある。(昭和20年10月警視庁経済3課調べの表あり。)
p.217 表「卸屋の運搬する商品について」(昭和22年5月下旬調査)
米、一升、仕入れ価格65円~70円 とある。販売価格は90円~95円、100円~110円(昭和22年5月調査) 運搬量や利潤の記載もある。(米、ほか)
p.216~「「闇の中」の横流し物質」の見出しで「担ぎ屋」・「ブローカー」・「運び屋」などの卸屋に言及有。「…運搬方法、…千差万別であった。」(p.217) ヤミ列車の写真有(p.218) 農家からの運搬かは不明だが、トラックやオートバイが使われたとの記述も有。
⑪『ヤミ市 東京池袋 生活学選書』松平 誠/著 ドメス出版 1985年
p.3「カツギ屋」に言及あり
p.8「一九四五年一〇月には、警視庁経済三課が、早くも、自分の手で「闇価格」を調査している。…すでに白米の闇値が公定価格の一三二倍、…」とある。註としてp.20に「恐るべき闇値 警視庁で調査」は1954年10月の闇価格最高の主なものとして、白米は闇値が一升七〇円 基準価格が五三銭 とある。(100銭=1円なので、約132倍)
p.30 「公定価格に対して米は本年四、五月頃都会で五十五倍だったものが八十倍、」(1953年10月13日朝日新聞を引用)
⑫『昭和史 13 決定版 廃墟と欠乏』毎日新聞社 1983年
p.42-「銀シャリもある闇市」 闇市の写真他
⑬『アサヒグラフに見る昭和の世相 6 昭和21年‐22年』朝日新聞社/編 朝日新聞社 1976年
p.54-「うら悲しきファッション」
本文 「…男の方になると闇屋と強盗が共々特攻隊員になりすましてゐたり、…」
p.232-「買い・檐ぎ、取られ」
⑭『図説アメリカ軍が撮影した占領下の日本 改訂新版 (ふくろうの本)』
太平洋戦争研究会/編 河出書房新社 2006年
ヤミ市の写真有:p.24-25、p.50-52「焦土の国民を救ったヤミ市」
⑮『写説占領下の日本 敗戦で得たもの、失ったもの』近現代史編纂会/編 小林 峻一/解説 ビジネス社 2006年
p.136 都市住民が衣料品などと米の物々交換をする写真有。
以上