レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年12月25日
- 登録日時
- 2019/12/11 16:28
- 更新日時
- 2019/12/12 09:10
- 管理番号
- 京歴-475
- 質問
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解決
明治10(1877)年頃の京都米会所があった場所を知りたい。
- 回答
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明治10年に米会所があった場所は、資料によって以下のように異なる。
※米会所は明治4年に設置され、明治9年に京都米商会所と改称されるが、その場所は明治19年に東洞院通錦小路下ルに移転されるまでは同じ位置にあった。
・十禅師町とするもの
『京都大事典』(①)、『史料京都の歴史:下京区』(②)、『京都府百年の資料 2 商工編』(③)「京都“米会所”小考」(神戸大学経済経営研究所 RIEBニュースレターNo.172)(④)
・(上)三之宮町とするもの
『京都市の地名』(⑤)
・十禅師町から上三之宮町にかけての地にあったとするもの
『角川日本地名大辞典26 京都府 上』(⑥)
- 回答プロセス
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『京都大事典』(①)pp.404-405「米会所」の項によると米会所の変遷は以下の通り。
明治4年に七条上ル十禅師町に設置
明治9年に「京都米商会所」と改称、のち「米穀取引所」と改称
明治19年に東洞院通錦小路下ルに移転
明治32年に「米穀商品取引所」と改称
明治39年に「京都株式取引所」に合併
『史料京都の歴史:下京区』(②)のpp.354-358に、明治4年7月に十禅師町に米会所が設けられたこと、明治19年10月に錦小路通東洞院下ル西魚屋町に移転したことが書かれている。
『京都府百年の資料 2 商工編』(③)のp.175には、明治4年に「米会所ヲ府下下京第18番組(後チ第26ニ属ス)東高瀬川厓七條坊北十禅師町ニ創設」とあり。
『京都市の地名』(⑤)p.949「上三之宮町」の項で、『京都坊目誌』に「此町西側に米穀売買の相場市場を立つ。(中略)米穀取引所是なり」という記述があることを紹介している。
p.950「十禅師町」の項には、米会所に関する記述はなかった。
『角川日本地名大辞典26 京都府 上』(⑥)pp.761-762「十禅師町」の項と、pp.409-410「上三之宮町」の項では、十禅師町から東側の上三之宮町にかけての地に米会所があったことが書かれている。
インターネットで「米会所△京都」で検索して見つかった論文「京都“米会所”小考」(神戸大学経済経営研究所 RIEBニュースレターNo.172)(④)には、米会所は明治4年七条新地十禅師町に開設、明治19年に錦小路東洞院下ル西魚屋町に移転という記述がある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291)
- 参考資料
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- ① 佐和隆研[ほか]編集.京都大事典.淡交社,1984. (当館請求記号:K0||291.62||Ky6||)
- ② 下京区(史料京都の歴史;12).平凡社,1981. (当館請求記号:K1||216.2|Ky6||12)
- ③ 京都府立総合資料館編.京都府百年の資料 2(商工編).京都府,1972. (当館請求記号:K0||216.206||Ky6||2)
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④ 「京都“米会所”小考」(神戸大学経済経営研究所 RIEBニュースレターNo.172)
http://www.rieb.kobe-u.ac.jp/academic/newsletter/column/pdf/column172.pdf - ⑤ 京都市の地名(日本歴史地名大系;27).平凡社,1979. (当館請求記号:K1||291.62||H51||)
- ⑥ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会. 角川日本地名大辞典 26 京都府 上. 角川書店, 1982. (当館請求記号:当館請求記号:K0||291.62||Ka14||1)
- キーワード
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- 京都米会所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000270140