レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/9/8
- 登録日時
- 2009/10/23 02:11
- 更新日時
- 2020/04/07 13:22
- 管理番号
- 京資-118
- 質問
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解決
鹿ケ谷若王子の墓地は明治時代前半は府有地の墓地であったが、その後京都市の管理となった。明治時代の京都の墓地の管理の変遷について知りたい。
- 回答
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『京都市政史 1巻』p93~94に、明治6年に火葬が禁止され、墓地が不足したことにより、京都府は社寺境内や山林の一部を上京区、下京区(当時は区制で、京都市は存在していない)に譲渡したとある。出典の『京都坊目誌』の上京第二十七区鹿ケ谷若王子墓地が京都市共同墓地とあり、京都市の管理となったことがわかる。
- 回答プロセス
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インターネットで、キーワード「京都市 墓地」を調べると、京都市共葬墓地の案内に京都府から移管された旨の記述があった。
『京都市政史 第1巻』を見ると歴史的経緯の記載があった。出典の『京都坊目誌』(『新修京都叢書 19巻』所収)p483から鹿ケ谷町の若王子墓地が京都市共同墓地となっていることがわかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 地方自治.地方行政 (318 9版)
- 参考資料
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- 『京都市政史 第1巻』 京都市市政史編さん委員会編 京都市 2009 21,698,52p (当館請求記号MK1/318.26/Ky6/1)
- 「市営墓地 京都市」(http://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/page/0000003851.html 2009年10月13日確認)
- キーワード
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- 墓地
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000058947