レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2002/04/07
- 登録日時
- 2005/02/17 02:15
- 更新日時
- 2009/03/23 16:50
- 管理番号
- 埼久-2002-005
- 質問
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未解決
久喜市内に住んでいるが、近所に馬頭観音があり昭和12年と彫られている。そのころ、炭疽病の流行により多くの農耕馬が死亡した事実はないか。当時の新聞記事などで確認したい。
- 回答
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昭和12年頃の炭疽病の流行は確認できなかった。建立のいきさつに軍馬挑発の可能性もあるが特定はできなかった。
- 回答プロセス
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『新編埼玉県史』『埼玉県行政史』『昭和ニュース事典』『久喜市史調査報告書 6』(新聞資料目録)等で昭和12年前後を調べるが、炭疽病流行の事実は確認できず。
『新編埼玉県史 別編4』年表の明治23年8月6日に「県下の馬疫炭疽熱流行…」との記述あり。
『埼玉県下に於ける農業立地の研究 農業立地より観たる有畜農業調査』p27に「明治22年…当時県下に炭疽病大流行…」とあり。
『埼玉県行政文書件名目録 産業編』を見ても、炭疽病関係の文書は明治22-25年に集中している。
以上とともに、県立文書館で昭和初期の「東京日々新聞」を所蔵している旨を伝える。
また、『久喜市史調査報告書 10』の「久喜市の金石」を見ると、市内に87基ある馬頭観音中8基が昭和12年建立のもので、昭和12年に集中していることがわかる。
『日本の馬と牛』p210に「昭和12年の日中戦争から20年の終結まで、中国大陸のみで24万頭の馬が出征し…」との記述あり。『信州馬の歴史』p183にも、長野県では日中戦争中の軍馬の徴発が50万頭にのぼった旨の記述があり、当時の記念・慰霊碑、馬頭観音についても触れられている。
『久喜市史』で日中戦争と馬頭観音の因果関係は確認できなかったが、『新編埼玉県史 別編1』p646に「日清・日露戦争以降、軍馬として馬の徴発が行われる。」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 畜産史.事情 (642 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 馬
- 馬頭観音
- 久喜市-埼玉県-歴史
- 郷土資料
- 獣医伝染病-炭疽病
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000020102