レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年10月11日
- 登録日時
- 2017/10/11 16:30
- 更新日時
- 2020/08/19 17:23
- 管理番号
- 愛知県図-03328
- 質問
-
解決
中日ドラゴンズの前の本拠地であるナゴヤ球場は戦時中に軍需工場だったと聞いた。当時のことがわかる資料や地図はないか。
- 回答
-
『回顧参拾年』【資料4】によると、戦時中は昭和17年12月まで日東紡績名古屋工場であり、
『安立電気五十年史』【資料5】によると、昭和18年2月からは安立電気の工場があった。
また【資料4】と【資料5】の記述から、日東紡績は軍令により安立電気に名古屋工場を明け渡すこととなり、その後安立電気名古屋工場が陸軍航空関係及び各種無線通信機の専門工場として開設されたことが分かる。
【資料5】には、安立電気名古屋工場の当時の従業員についてや、東南海地震や名古屋大空襲の損害について、名古屋工場建物配置図(昭和19年)などが記載されている。
地図としては、【資料5】に安立電気名古屋工場付近状況図があるほか、『名古屋 西南部』【資料3】(地図)に、日東紡績名古屋工場の記載がある。
- 回答プロセス
-
1 参考図書で基本的事項を確認
『愛知百科事典』【資料1】pp.593-594に、「ナゴヤ球場」の項目があり、「名古屋市中川区八島町。中日ドラゴンズのホームグラウンド。永年,地元ファンから中日球場と呼ばれ,親しまれてきた。1975年(昭和50)9月新しく経営に当たることとなった株式会社ナゴヤ球場が創立され,1976年からナゴヤ球場と名称を変更した。」と記載がある。
2 地域資料を確認
名古屋市の戦前戦後の土地の状況が分かる資料として、戦後名古屋市で行われた復興土地区画整理事業について書かれている『戦災復興誌』【資料2】を確認。pp.568-569には、中川第3工区の整理前と整理後の地図が掲載されており、整理後の地図に「ナゴヤ球場」とある。整理前の地図の同位置に工場等の記載はないが、中川第3工区西部地区についての記述(p.567)に「中央部の名古屋紡績工場跡地には、昭和24年、中日球場が建設された。」とある。
3 地図を確認
当該地域の戦前の地図として、『名古屋 西南部』【資料3】があった。現在の「ナゴヤ球場」がある場所に「日東紡績名古屋工場」とある。
4 社史を確認
当館OPACで「日東紡績」を検索。
日東紡績株式会社の記念誌である『回顧参拾年』【資料4】p.73に、「名古屋工場は名紡の本社工場として中京地區に於ける地盤の中樞をなしていたが、これも企業整備に際し軍令により安立電氣株式會社に提供の止むなきに至り、〔中略〕昭和17年12月26日悲壮な解散式を擧げた。」とある。
続いて当館OPACで「安立電気」を検索。
『安立電気五十年史』【資料5】pp.25-26に、「昭和18年2月,陸軍航空関係および各種無線通信機の専門工場として,名古屋市中川区八島町(現在のナゴヤ球場の位置)に名古屋工場を開設した。」とある。このほか、当時の従業員について等の情報の記載がある。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 衛生工学.都市工学 (518)
- 企業.経営 (335)
- 参考資料
-
-
【資料1】『愛知百科事典』中日新聞社開発局/編 中日新聞本社、 1977
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001435908-00 -
【資料2】『戦災復興誌』戦災復興誌編集委員会/編集 名古屋市計画局、 1984.3
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002594338-00 -
【資料3】『名古屋 西南部』大日本 帝国 陸地 測量部 仮製版 大日本帝国陸地測量部、 1939.6
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008048109-00 -
【資料4】『回顧参拾年』日東紡績株式会社「回顧参拾年」編集委員会/編集 日東紡績株式会社「回顧参拾年」編集委員会、 1953.4
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I000819602-00 -
【資料5】『安立電気五十年史』安立電気株式会社 安立電気、1982
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001603191-00
-
【資料1】『愛知百科事典』中日新聞社開発局/編 中日新聞本社、 1977
- キーワード
-
- 名古屋
- 軍需工場
- 中川区
- 球場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000222956