レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年04月05日
- 登録日時
- 2017/02/08 14:33
- 更新日時
- 2017/02/08 15:30
- 管理番号
- 20170208-2
- 質問
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解決
福井市の足羽川の堤防や足羽山の桜は、いつ頃、何本植えられたか。
- 回答
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現在のものは昭和27年(1952)の福井復興博覧会を機に植樹したもの。昭和26年と書いてある資料や昭和28年春と書いてある資料あり。桜の本数についても1300本と書いてあるものと、1800本と書いてあるものあり。
- 回答プロセス
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H26.3に調べた結果を参考に再調査。
・『新修福井市史 Ⅰ』福井市、1970
p921「足羽川堤防に桜、楓を植える:この河川改修に関連して、堤防上に桜や楓(かえで)を植えつけようという話がもちあがり、明治39年(1906)、市民有志の寄付で集まったこれらの木を、南岸に680本、北岸に224本植えつけた。(中略)この桜や楓は、その老齢化し、さらに昭和20年(1945)の戦災で、ほとんど焼失した。現在のものは、終戦後福井市の復興事業として、新たに植えたものである。」
・『福井商工会議所百年史』福井商工会議所、1982
p400「植樹美化運動に乗り出す:福井観光協会と当会議所が共催で、市当局の援助の下に、福井市の随所に桜の名所をつくり、美化と緑化を兼ねた植樹運動に乗り出したのは、昭和27年の後半のことであり、市民や会員から非常な共鳴をうけ、2842名の人達から55万7525円の浄財を得たので、主催者側では翌28年春を迎えると共に、左記の方面を選んで植樹を始め、まず第一期分として、大500本、中300本、小1000本の染井吉野桜の植樹を終り、翌29年さらに同桜1000本の植えつけを完了した。 足羽川南側堤防・同北川遊歩道路・同右岸・(以下略)」
⇒以上から、300+500+1000=1800本(第一期分)
・『ふう2015年4月号』
p18「あの「桜のトンネル」を育てた人、守る人。」「ふくい桜守の会」事務局長 橋本浩/[談]
「では、今ある桜の古木はいつ植えられたものなのか。1952年の福井復興博覧会に合わせてその前年、旧福井市観光協会(現福井観光コンベンシュンビューロ)と福井商工会議所が市民らから広く寄付を募り、足羽山などを含め約1300本を植樹したソメイヨシノがそれだ。」年は昭和26年
・「120年続く茶屋から見た足羽山の桜と花見の歴史」『いきいきセミナー』2015.4
「福井商工会議所らの協力もあって約3000本の桜が植えられた」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 花卉園芸[草花] (627 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 足羽山
- 足羽川
- 桜
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000209468