レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年07月10日
- 登録日時
- 2011/09/20 11:19
- 更新日時
- 2011/12/08 17:22
- 管理番号
- 埼熊-2011-070
- 質問
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解決
昭和7年頃にあった熊谷町大字肥塚は、現在も存在するか知りたい。
- 回答
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〈肥塚〉の地名は、現在も熊谷市肥塚などに残っている。関連記述のあった、以下の資料を紹介した。
『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1980)
p355〔近代〕肥塚村 明治22年~大正12年の大里郡の自治体名。もとは江戸期の肥塚村。大字はなし。大正12年熊谷町に合併。同町の大字となる。
p355〔近代〕肥塚 大正12年~現在の大字名。はじめ熊谷町、昭和8年からは熊谷市の現行大字。
p1036 肥塚(熊谷市現行行政地名)
『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 11』(平凡社 1993)
p845 肥塚村(現)熊谷市肥塚・箱田1-5丁目・円光1-2丁目
『埼玉県市町村誌 13』(埼玉県地域総合調査会〔編〕 埼玉県教育委員会 1978)
p95「明治初期以降の市町村分合表」に、肥塚村から大里郡熊谷町への合併を示す記述あり(大正12.4.1)。
p94「区域変更」やp100「字の廃止および区域の変更ならびに町の設置」に肥塚地区の記載はなし。
『肥塚の今昔』(高木幹雄編 肥塚公民館 1970)
折り込み図:肥塚略図1/12000(おおまかな番地の記載あり)
『ゼンリンの住宅地図 熊谷市 1979』(日本住宅地図出版 1979)
目次に、肥塚の番地103~1800まであり。
『熊谷の地名と旧跡(市内の文化財をめぐる9)』(熊谷市立図書館美術郷土係編 熊谷市立図書館 1993)
p147[平成3年]7月1日に大原1-4丁目 円光1-2丁目が誕生 大字熊谷・大字肥塚・大字原島・大字石原の一部で住居表示を実施との記述あり。
『熊谷の合併の変遷 大きくなった熊谷市』(熊谷市立図書館美術・郷土係編集 熊谷市立図書館 2004)
p13、p35-37に大正12年4月1日の合併の経緯について記述あり。
『市報くまがや 2001年11月号』(熊谷市 2001.11)
p13に住居表示実施のお知らせあり、「箱田6-7丁目、中央4-5丁目、肥塚1-3丁目が誕生 11月12日(月)から住居表示を実施」という記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 参考資料
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- 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1980)
- 『埼玉県の地名 日本歴史地名大系 11』(平凡社 1993)
- 『埼玉県市町村誌 13』(埼玉県地域総合調査会〔編〕 埼玉県教育委員会 1978)
- 『肥塚の今昔』(高木幹雄編 肥塚公民館 1970)
- 『ゼンリンの住宅地図 熊谷市 1979』(日本住宅地図出版 1979)
- 『熊谷の地名と旧跡(市内の文化財をめぐる9)』(熊谷市立図書館美術郷土係編 熊谷市立図書館 1993)
- 『熊谷の合併の変遷 大きくなった熊谷市』(熊谷市立図書館美術・郷土係編集 熊谷市立図書館 2004)
- 『市報くまがや 2001年11月号』(熊谷市 2001.11)
- キーワード
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- 市町村合併-埼玉県
- 熊谷市-地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000091145