レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年06月02日
- 登録日時
- 2010/06/02 14:18
- 更新日時
- 2015/09/17 13:27
- 管理番号
- 11443
- 質問
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解決
旧讃岐領主尾藤知宣の改易の際、豊臣秀吉の命により、尾藤家の武具などが加藤清正に渡ったとされるが本当か。また、尾藤家の家紋は桔梗紋か。
- 回答
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旧讃岐領主尾藤家の家紋について、当館所蔵資料を調査した結果は次のとおり。
『加藤清正と讃岐国-忠廣息女の婚家をめぐって』(徳川義宣言/著 「徳川林政史研究所研究紀要昭和47年度」より抜刷)
〔当館請求記号:K2100 T2 2〕
本研究の第二章生駒親正の讃岐入封と清正の讃岐・肥後択一論 (ロ)清正と讃岐国との伝誦に、
「九州記」にある天正十六年五月、佐々成政処断、肥後国一揆平定後の次の記述を紹介している。
「秀吉公、主計頭清正を御前へ被召出、(中略)尾藤が武具不残下し給ふ、〔加藤家伝〕細註に、
清正家の紋、蛇の目、一重菊也、尾藤が紋、桔梗、折墨也、尾藤が武具を用いる故に、清正家に用之」
この内容は、「清正記」や「清正行状奇」にも共通しているとのこと。
また、第二章生駒親正の讃岐入封と清正の讃岐・肥後択一論 (ハ)尾藤知宣の武具一職において、
熊本市本妙寺所蔵で尾藤知宣より得たと伝称される清正遺品の桐・桔梗・折墨紋散高台院蒔絵調度が、
写真とともに紹介されている。
『加藤清正と讃岐国-忠廣息女の婚家をめぐって』の第二章生駒親正の讃岐入封と清正の讃岐・肥後択一論は、
「徳川林政史研究所研究紀要昭和47年度」の488~493頁に、桐・桔梗・折墨紋散高台院蒔絵調度の写真は
487頁に収録。当館資料は抜刷のため写真は不鮮明。
- 回答プロセス
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尾藤知宣および加藤清正に関する資料を調査する中で、加藤清正の伝記などに、尾藤知宣の改易の際、尾藤家の武具などが加藤清正に渡ったことが示されていた。
特に回答にある『加藤清正と讃岐国-忠廣息女の婚家をめぐって』には、記述の根拠となる史料が示されていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288 8版)
- 四国地方 (218 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 尾藤知宣
- 加藤清正
- 桔梗紋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000067291