レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/07/24
- 登録日時
- 2014/12/22 00:30
- 更新日時
- 2014/12/28 10:58
- 管理番号
- 0000001100
- 質問
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解決
北国毎日新聞(昭和22年11月3日付)に掲載された第二回国民体育大会の軟式野球オープンゲームとして小松中、小将中と読み取れる記事があります。
小松中、小将中の現在の学校名を教えて下さい。
- 回答
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昭和22年前後の『石川県学事関係職員録』には、「小松」「小将」を含む学校は
・昭和21年に「小松中学校」(小松市丸内町)、「小将町青年学校」(小将町校内)がありました。
・昭和23年に「小松中学校」(丸ノ内)、「石川県立小松高等学校」(丸ノ内)、「小将町中学校」(小将町1番丁)がありました。
HPの沿革と新聞記事の日付から、小将中は「金沢市立小将町中学校」であると推察されます。
「小松中学校」は現存していませんでしたので、校名変遷を確認しました。
・『小松市史 3』に「昭和二十二年五月三日に、芦城・小松・板津・安宅・八代・第一・御幸・粟津の八中学校が発足したが、二十四年三月三十一に安宅は丸之内と校名を改めた小松に第一・八代は合併して松陽となり二十五年四月一日には安宅は分離独立した。」の記述がありました。
・『学校名変遷総覧 大学・高校編』には「昭和23年4月 石川県立小松中学校、石川県立小松高等学校、石川県小松市立高等女学校が統合し
石川県立小松高等学校を設置」という記述がありました。
・同じく『小松市史 3』に「『県立小松高等学校』新制高校として二十三年四月に発足し、旧県立小松中学校・旧県立小松高等女学校・旧市立小松高等女学校を合わせたものであったが」の記述がありました。
「小松中」の現在の学校名は「石川県立小松高等学校」の可能性もありましたが、発足日から「小松市立丸内中学校」であると推察されます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育 (37 9版)
- 参考資料
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- 1 石川県学事関係職員録 昭和21年 石川県教育会∥編 石川県教育会 1946 K370.2/1/46
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2 石川県学事関係職員録 昭和23年版 石川県教職員組合∥編 石川県教職員組合 1948 K370.2/1/48 -
3 小松市史 3 川 良雄∥編 小松市教育委員会 1963.3 K226/9/3 156p -
4 学校名変遷総覧 大学・高校編 日外アソシエーツ株式会社?編集 日外アソシエーツ 2006.11 R372.1/10113 190p
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165230