レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月01日
- 登録日時
- 2021/12/01 14:27
- 更新日時
- 2021/12/16 18:43
- 管理番号
- SOKA-般-2816
- 質問
-
解決
草加市の「柿木町」の名前の由来を知りたい。
- 回答
-
由来については下記の1と2の説があり。
説1)柿の古木が生えていたからとの説。
説2)柿木の集落が川にそった自然堤防上に形成されていることからこの地形に由来するという説。
- 回答プロセス
-
・当館業務システムにて検索 フリーワード「ソウカ , カキノキ」
〇『地名の起こり』企画財政部広報広聴課/編集 ・ 草加市 , 1987.02 (L318.5チ ソウカシ)
〇『柿木の歴史』「柿木の歴史」編集委員会/編集 ・ 柿木町会 , 1988.11 (L213.4カ ソウカシ)
〇『柿木歴史マップ』柿木の歴史を語る会/編集 ・ 柿木町会 , 2002.09 (L291.3カ ソウカシ)
・郷土資料の書棚を探す
〇『そうか事典』市長室広報担当/編者 ・ 草加市 , 2008.11 (L318.2ソ ソウカシ)
上記4点の内容を確認。それぞれに柿木の由来について記載あり。
〇『地名の起こり』 広報そうか 62.9.5発行 地名の起こりNo.7 柿木町より抜粋
「この柿木の地名の由来については二つの説があります。一つは、柿の古木が生えていたからとの説です。二つめは、柿木の集落が川にそった自然堤防上に形成されていることからこの地形に由来するという説です。つまり、川と自然堤防との境は崖になっており、その崖の際に形成されたところ、『ガケノキワ』が変化して『カキノキ』になったという説です。いずれにしても中世末期には、柿木川戸と呼ばれており、柿木という名は今なお受けつがれています。」とあり。
〇『柿木の歴史』 P.7 (三)地名の由来より抜粋
「まだ開拓の進まないころのこの地は、西の大宮台地と東の流山・下総台地の中間にあって東西を行き来する人たちが一息入れる休憩地点になっていた。丁度、休憩におあつらい向きの、もっこりと亀の子の背中のような形をした小高い丘があって、そこには、遠くからも眺められる一本の大きな柿の木が立っていた。そこで休んでは持参の握り飯を食べたり汗をふいたりしたものであったという。ただし、ずっと古くは柿の木などなく、ただ周辺より一段高い丘であったのが、いつごろのことか、行き来する人が休憩中に食べて捨てた柿の種が自然と芽を吹きそれが育ったものであったらしい。それが次第に成長して、遠くからも眺められるようになると、西から東へ、東から西へ行き来する人々が、『あの柿の木まで行って休もう』と言い言いしていたことから、いつの間にかその辺一帯を『柿の木』と呼ぶようになったのだと伝える。(『草加市史 民俗篇』)」とあり。
〇『柿木歴史マップ』「柿木」の地名の由来より抜粋
「昔、旅人が小高い丘の上で休憩していた。休憩中に食べた柿の種が自然に芽吹き、大きな柿の木になった。東へ西へ往来する人々が、この柿の木を目印としていた。いつの間にかこの一帯を『柿木』と呼ぶようになったと伝えられた。」とあり。
〇『そうか事典』 P.20 柿木町より抜粋
「地名については、柿の古木が生えていたからという説のほかに、集落が川沿いの自然堤防上に形成されているからという説がある。川と自然堤防の境は崖。崖の際につくられたところ、『ガケノキワ』が『カキノキ』に変化したというもの。いずれの説にしても、中世末期には柿木川戸と呼ばれていた。」とあり。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 関東地方 (213 10版)
- 日本 (291 10版)
- 地方自治.地方行政 (318 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 草加市
- 柿木町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000308223