レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年9月24日
- 登録日時
- 2021/10/05 17:30
- 更新日時
- 2021/10/13 10:43
- 管理番号
- 県立長野-21-135
- 質問
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解決
戦国時代の信濃の武士・平林蔵人佐は正家か、正恒か。また、正恒の正妻は、武田信玄の家臣の馬場春信の娘か。
- 回答
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『信州新町史 上巻』信州新町史編さん委員会編 信州新町 1979 【N212/148/1】 p.359-362に
平林蔵人正恒は、同正家の子で、天文十九年同氏代々の城館である更級郡上尾に生まれた。母は、
春日氏で、藤七郎といい、長じて籐右衛門と号し、武田信玄に仕え、牧之島同心祢津八左衛門直秀の
女を娶った。元亀二年正月十一日信玄の命によって蔵人佐を号した。
とあった。領土等の安堵状の翻刻はあるが、系譜の出典は明記されていない。
『川中島の戦いと北信濃』 長野市民新聞編 信濃毎日新聞社 2009 【N209.4/122】 p.87-89に、平林氏があり、平林正恒に関して、
(-前略-)一五五〇(天文十九)年、更級郡上尾(長野市信更)に生まれた。武田氏に仕え蔵人佐
(くらんどのすけ)を名乗っている。一五七五(天正三)年の長篠の合戦で馬場春信が戦死すると、
代わって牧之島城(信州新町)の城将となり、更級郡・水内郡西部の統括を行う重責を担った。
正恒は武田勝頼滅亡後、上杉景勝に従属し、山平林・安庭・有旅・岡田などの地域の所領を安堵さ
れたほか、勝頼から与えられた牧之島城周辺の地も引き続き領有を認められた。(-中略-)
ところが、一五九八(慶長三)年の上杉家の会津移封に際して、正恒は白川小峰城(福島県白川
市)の城将として五三六〇石での移封となった。(-後略-)
とある。しかし、牧之島城将であった馬場家との婚姻関係については触れられていなかった。この資料は長野市民新聞に連載されたものに加筆まとめられたもので、平林氏の部分は、長野県立歴史館の村石正行氏が担当している。
また、『上杉家御年譜24』 米沢温故会 1986 【210.4/117/24】 「御家中諸士略系譜」 p.396の平林系譜中の「平林蔵人佐正恒」にも室は明記されていない。また、子の内蔵之介正興の項にも母は明記されていない。
- 回答プロセス
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1 『長野県歴史人物大事典』神津良子編 郷土出版社 1989【N283/13】で平林正恒、馬場春信、原虎胤を見る。
2 平林氏が更級郡上尾を本拠としたことがわかったため、『田野口区誌』『中条村誌』『信州新町史 上巻』などを確認する。
3 所蔵する武田家の家臣団に関する資料を郷土分類N288(家系)等で探す。また、郷土分類N209.4(長野県の中世の歴史)の書棚で資料を探す。『川中島の戦いと北信濃』などを見る。
4 『武田氏家臣団の系譜』 服部治則著 岩田書院 2007 【210.47/ハハ】 に所収の「武田家臣団における親族関係(3)馬場氏」を見たが、馬場美濃守信房(『寛政重修諸家譜』では氏勝)の女6名が記されているが、いずれも平林氏の室という記述はなかった。『寛政重修諸家譜 第3』 続群書類従完成会 1980 【288.2/タミ/3】p.365の馬場氏を確認する。信房の子の信春(『寛政重修諸家譜』では信忠)の女も3人記されているが、こちらも平林氏の室という記述はなかった。平林氏についても『寛政重修諸家譜』を見るが、正家、正恒が名を連ねる系図はなかった。
5 当館所蔵の郷土史研究雑誌の雑誌論文等を検索したが、水内郡の平林氏についてのものは確認できなかった。また、更級郡にかかわる平林氏に触れたものも、馬場氏との婚姻に言及したものは確認できなかった。
<調査済み資料>
・『田野口区誌』 長野市信更町田野口区 田野口区誌刊行会 1998 【N212/325】
・『中条村誌』 中条村誌編さん委員会編 中条村 1970 【N212/160】
・『武田信玄大事典』 柴辻俊六編 新人物往来社 2000 【N289/たけだ】
・『武田騎馬軍団秘史』 依田武勝著 叢文社 2012 【215.2/ヨタ】
・『戦国大名武田氏の戦争と内政』 鈴木将典著 星海社(発売:講談社) 2016 【210.47/スマ】
・『戦国大名武田氏の役と家臣』 柴辻俊六編 岩田書院 2011 【210.4/シシ】
・『戦国大名武田氏の権力と支配』 平山優, 丸島和洋編 岩田書院 2008 【N209.4/120】
・『名将』腰原哲朗訳 ニュートンプレス 2003(原本現代語新訳「甲陽軍鑑」1)【N399/4/1】
・『歴史にかたりかける 典厩本塚を守り今に伝える系図と遺跡』
中沢唯延解説・発行 2018【N288/160】
・米山一政著「更埴地方に於ける滋野系平林氏の一考察」『信濃』 第2次 創刊号 1942 p.97-105
・『寛政重修諸家譜』で高柳光寿ほか編 続群書類従完成会 1964【288.2/タミ/2】
・『寛政重修諸家譜』で高柳光寿ほか編 続群書類従完成会 1964【288.2/タミ/20】
・『寛政重修諸家譜』で高柳光寿ほか編 続群書類従完成会 1964【288.2/タミ/19】
・『断家譜』 続群書類従完成会 1976【288.2/ダン/1】
・『断家譜』 続群書類従完成会 1969【288.2/ダン/3】
- 事前調査事項
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『平林城のロマンと平林』 佐藤孝一編 石碑建立発起人会 1997【N212/334】
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 個人伝記 (289 10版)
- 参考資料
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信州新町教育委員会信州新町史編さん委員会/編 , 信州新町教育委員会信州新町史編さん委員会. 信州新町史 上. 信州新町, 1979-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059084612-00 (【N212/148/1】 p.359-362) -
長野市民新聞 編 , 長野市民新聞株式会社. 川中島の戦いと北信濃 : 武士・民衆もうひとつの真実. 信濃毎日新聞社, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010080346-00 , ISBN 9784784071029 (【N209.4/122】 p.87-89)
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信州新町教育委員会信州新町史編さん委員会/編 , 信州新町教育委員会信州新町史編さん委員会. 信州新町史 上. 信州新町, 1979-03.
- キーワード
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- 平林氏
- 平林正恒
- 平林正家
- 馬場春信
- 馬場信房
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000305644