レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/12/30
- 登録日時
- 2009/12/31 02:10
- 更新日時
- 2010/02/05 15:45
- 管理番号
- 0000000023
- 質問
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解決
明治から昭和初期にかけて神田にあった東亜高等予備学校の創立、沿革について知りたい。
特に大震災後移転した事実があるのかを知りたい。
- 回答
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1.学校沿革について
さねとうけいしゅう『中国人日本留学史 増補』(くろしお出版 1981年)、実藤恵秀『中国人日本留学史稿』(日華学会 1939年)に学校沿革・経緯についての記載あり。
2.移転について
実藤恵秀『中国人日本留学史稿』P290-292、p354
震災直後はバラック校舎にて授業を再開しており、震災による移転がなかったことが確認できる。
さらに震災後の住所を『神田区史』(1927)、『東京市神田区地籍台帳』(1935)、『神田区火災保険地図』(1935)等の資料で確認したところ、移転の事実が見いだせないことが確認できた。
なお、現在当地は神保町愛全公園となり、東亜予備高等学校跡の碑あり。(財団法人まちみらいちよだのサイトよりhttp://chiyoda-days.jp/future/staffblog/report/park/14.htm)
NDL OPAC検索結果
三康図書館の検索結果
Ciniiの検索結果
以上を案内。
- 回答プロセス
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1.学校沿革について
『東京教育史資料大系』、『東京都教育史』、『最新東京学校案内 大正11年版』、NDL近代デジタルライブラリー
⇒該当なし
「日本留学」で検索
さねとうけいしゅう『中国人日本留学史 増補』(くろしお出版 1981年)
p113-114 東亜高等予備学校設立の経緯・沿革
p128,132 東亜学校沿革概評(引用元 『日華学報』第55号)
実藤恵秀『中国人日本留学史稿』(日華学会 1939年)
口絵 東亜高等予備学校の写真
p248-250 東亜高等予備学校設立の経緯・沿革
p290-292 東亜高等予備学校震災復興・日華学会との合併
「周恩来」で検索
周恩来『十九歳の東京日記』(小学館文庫 1999年)
p24 日記本文および脚注
p38-45 コラム「神保町界隈と留学生事情」
p380-381 参考文献
学校沿革に関しては上記の資料を提供。
2.移転について
実藤恵秀『中国人日本留学史稿』(日華学会 1939年)
p290-292「復興の第一着手として、事務所兼教場を、中猿楽町の焼跡に建てる事に決した(中略)十月五日には、早くも仮校舎が出来上がったから、予は此処に移住し、十日から授業を開始した。」
p354 巻末年表 大正12年「東亜高等予備学校バラックにて授業開始」(10.10)と記されており、震災による移転の事実がなかったことが確認できる。
さらに、下記の資料からも移転の事実がなかったことが確認できる。
・『神田区史』(昭和2年)p155
設立 大正3年10月 住所 中猿楽町5番地
現在の地に創立 大正8年5月 住所 中猿楽町6番地に増築
大正14年 財団法人日華学会に経営委譲等
・『神田区勢年鑑』昭和6年版 p169
『神田区史』と同内容
・『神田区勢要覧』第一回 大正12年3月 p199
調査年の現況統計 所在地の記載なし
・『神田区勢要覧』 昭和10年 p99
住所 神保町2-20
・『東京市神田区地籍台帳』全 (昭和10年) 神保町2丁目 p4
神保町2-20-3 学校敷地 所有者:財団法人日華学会
・『神田区火災保険図』(昭和10年)神保町NO.6(神保町2丁目)
神保町2-20-3「東京高等予備校」(東亜高等予備校の誤りと考えられる)
・『古地図・現代図であるく昭和東京散歩 戦前』(人文社、2004年)
p16(「大東京区分図三十五区之内 神田区詳細図」昭和16年頃か)
神保町2-20に東亜あり。
なお、『新編千代田区史 区政史資料編』p78によると中猿楽町は昭和8(1933)年に神保町2丁目となっている。
現在当地は神保町愛全公園となり、東亜予備高等学校跡の碑あり。(財団法人まちみらい千代田のサイトよりhttp://chiyoda-days.jp/future/staffblog/report/park/14.htm)
3.他機関案内
NDL OPAC検索結果
『日華学会二十年史』(日華学会、1939年)
『東亜学校案内』(東亜学校 1940年)
三康図書館の検索結果
「震災に際し本会の執れる処置概要」(日華学会パンフレット10号 1929)
「留日学務諸規程概況」(日華学会 1937)
神奈川県立図書館
『東亜学校十周年記念』(東亜学校 1935)
Ciniiの検索結果
張金塗「戦前の日本における中国人留学生に対する日本語教育の歴史的研究--東亜学校を中心に」『日本語教育』(86)p128-141 1998.07
「東亜学校と松本亀次郎--戦時下の動向を中心として 」『国立教育研究所紀要』(121)p185-197 1992.03
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『中国人日本留学史』(さねとうけいしゅう,くろしお出版 ,1981)
- 『中国人日本留学史稿』(実藤恵秀 日華学会,1939)
- 『東京市神田区地籍台帳 全』(内山模型製図社,内山模型製図社,1935)
- 『神田区勢要覧(昭和10年)』(東京都神田区役所,東京都神田区役所,1935)
- 『新編千代田区史(区政史資料編)』(東京都千代田区[総務部区政史編纂室],1998.3)
- 『神田区史』(神田公論社,神田公論社,1927)
- 『神田区勢年鑑(昭和6年版)』(神田公論社 神田公論社,1931)
- 『神田区火災保険地図』
- 『古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩』(人文社編集部,人文社,2004.1)
- 『周恩来『十九歳の東京日記』』(周恩来,小学館,1999)
- 『東京教育史資料大系(第1巻)』(東京都立教育研究所,1971)
- 『東京都教育史(通史編1)』(東京都立教育研究所,1994.3)
- 『最新東京学校案内(大正11年版)』(武田芳進堂,1921)
- キーワード
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- 東亜高等予備学校 日華同人共立東亜高等予備学校 東亜学校 日華 日華学会 松本亀次郎 中国 中国人 日本留学 留学生 千代田区 神田 中猿楽町 神保町 周恩来 教育 学校 関東大震災 神保町愛全公園
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 地域資料
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000061371