レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月19日
- 登録日時
- 2014/05/30 12:01
- 更新日時
- 2014/07/17 10:34
- 管理番号
- 相市-H25-012
- 質問
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解決
上溝(現陽光台)に昭和初期の頃に草競馬場があった(草競馬をやっていた)が、いつ頃からどのくらいの間やっていたのか。
- 回答
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回答プロセスの中から、『目で見る 相模原の100年』のp.115を見ていただいた。
- 回答プロセス
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インターネット検索エンジンGoogleで“相模原 草競馬”で検索したところ、以下がヒットした。
「相武電鉄上溝浅間森電車庫付属資料館」http://homepage2.nifty.com/asamamori/02/01/03/c08_01.html(最終確認2014/05/30)
→馬坂下で戦前まで草競馬が行われていた旨紹介されていたが、詳細な資料などは示されていない。
『さがみはらの地名―村をつないだ道・坂・川―』 相模原市教育委員会 1990 【K1-29 S07722382】
→p.52に「うま坂」の項あり。相模原市内で「うま坂」と呼ばれる坂は9ヶ所に及ぶが、以前草競馬が行われていたことからこの地名がついた坂もあるとの記載があった。
『ふるさと案内 上溝編』相模原市教育委員会 1988 【K1-29 S17294703】
→「馬坂」の項があったが、草競馬については記載なし。
次に、自館のOPACで郷土資料限定で“ウマ”を検索した。
『相模原郷土史 淵野辺の巻』 平井正治 1965 【K1-21 S03347374】
→p.12に「馬場跡」の項あり。しかし、淵野辺村の横浜線沿いであるため場所が異なる。
『願い 橋本七夕まつり五十周年記念誌』 橋本七夕まつり記念誌委員会 2004 【K1-38 S22876684】
→p.49に「橋本競馬場」の項がある。橋本競馬場は草競馬ではないが、「社寺等で行われる草競馬と呼ばれ年中行事は古くから存在していた」との記述あり。
そこで、以下の資料二点を用いて陽光台(旧上溝)付近の社寺を調べた。
『平成 さがみはら風土記稿―神社編―』 相模原市教育委員会 1993 【K1-17 S22873269】
→p.62とp.66の地図から、亀ヶ池八幡宮と十二天神社が確認できた。それぞれの解説に草競馬の記載なし。
『平成 さがみはら風土記稿―寺院編―』 相模原教育委員会 1995 【K1-18 S17204959】
→p.54の地図から、田中不動堂と宝光寺が確認できた。それぞれの解説にも草競馬の記載なし。
『郷土相模原 第14号』 相模原郷土懇話会 1988 【K1-20 S06132997】
→p.57に「馬坂上のある旧家の思い出」が載っているが、競馬場の記述なし。
『目で見る 相模原の100年』 郷土出版社 1991 【K1-27 S09110941】
→p.115に「上溝の馬場(昭和13年頃)」の写真が載っているが、草競馬については触れていない。
「この馬場は当時上溝駅の近くにあったもので、向こうに見える森は現在三菱重工の寮になっている。」との記述から、陽光台1丁目にあたると思われる。
※【】内は自館の請求記号と資料コードです。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『さがみはらの地名―村をつないだ道・坂・川―』 相模原市教育委員会 1990
- 『ふるさと案内 上溝編』 相模原市教育委員会 1988
- 『相模原郷土史 淵野辺の巻』 平井正治 1965
- 『願い 橋本七夕まつり五十周年記念誌』 橋本七夕まつり記念誌委員会 2004
- キーワード
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- 草競馬
- 上溝
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000153877