レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月23日
- 登録日時
- 2017/03/16 09:51
- 更新日時
- 2017/03/22 17:35
- 管理番号
- 福井県図20160723-1
- 質問
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解決
現福井市にあった田谷寺について
1 田谷寺がなくなって、田ノ谷の地名が残ったのか。それとも地名から田谷寺となったのか。
2 「田ノ谷」のヨミ
3 田谷寺が信長軍に焼かれた理由
- 回答
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1 『角川地名大辞典』によれば、寺があったことにより地名となった。
2 「たのたに」
3 信長軍が焼いたのではなく、一向一揆勢とある。
- 回答プロセス
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1 『角川地名大辞典18福井県』角川書店、1989のp739「田ノ谷」の項に「地名の由来は…竜王山田谷寺四八坊があったことによる」とあり、寺の名が先にあって地名になったと読める。なお「田谷寺」の確認される初出は元弘3年(1333)で、これに対し地名の初出は『福井県の地名』平凡社、1981のp327「田谷村」に「慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に村名がみえ」とある。2つの年号だけをみれば、寺の名が先にあり、地名が後から付けられたと考えることができるが、地名がたまたま書き残されなかっただけという可能性もある。
2 前掲『福井県の地名』によれば、地名のヨミは「たのたに」。
3 前掲『福井県の地名』p327-328「田谷寺跡」の項には「天正二年(一五七四)三月、一向一揆に攻められ、「田谷寺楽蔵坊・歓喜坊討死ス」と「朝倉始末記」にあり、この時、寺も焼亡したが、その後再興されたとみえ」とあり、焼亡は織田信長によるものではなく、一揆勢によるものとある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 北陸地方 (214 8版)
- 参考資料
- キーワード
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- 田谷寺
- 福井市田ノ谷
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000212007