レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月10日
- 登録日時
- 2023/04/15 17:18
- 更新日時
- 2023/05/10 16:49
- 管理番号
- 2023-4.3
- 質問
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解決
六条家の藤原清輔が藤原多子に仕えたのは本当か。
- 回答
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藤原多子が太皇太后の時代に藤原清輔は太皇太后宮大進であった。太皇太后宮大進とは太皇太后の付属職司である。
- 回答プロセス
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『国史大辞典 12 ふ-ほ』で藤原清輔、藤原多子を確認。
p.188 藤原清輔の項目を確認すると、「承安二年(1172)ごろ、正(しょう)四位(しい)下前太皇太后宮大進(たいこうたいこうぐうだいじん)で~」とある。
p.201 藤原多子の項目を確認すると、「保元元年(1156)十月皇太后に、同三年二月太皇太后に転上(てんしょう)したが~」とある。
『日本大百科全書 20 ふ-へか』
p.299 藤原清輔の項目にも太皇太后宮大進(たいこうたいこうぐうだいじん)の記述あり。
太皇太后宮大進(たいこうたいこうぐうだいじん)とは何かを調べる。
『日本大百科全書 14 そ-たろ』
p.385 太皇太后の項目に「天皇の祖母で后位(こうい)にのぼった者の称。(中略)またその付属職司として、令(りょう)制にない太皇太后宮職が設けられ~」とある。
『国史大辞典 8 す-たお』
p.733 太皇太后
『日本国語大辞典 第8巻 せりか-ちゆうは』
p.675 大進
→つまり太皇太后宮大進とは太皇太后の付属職司
藤原多子が太皇太后の時代に藤原清輔が太皇太后宮大進であることを確認できる資料を探す。
大日本史料総合データベース(東京大学史料編纂所HP【https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/】で確認)
藤原清輔を検索したところ、
永暦1年7月是月 太皇太后宮大進藤原清輔に於て、歌合あり
『史料綜覧 巻3 平安時代 3』 p.394に該当部分あり。
藤原多子を検索したところ、
保元3年2月3日 皇后藤原多子を太皇太后と為し、~
(『史料綜覧 巻3 平安時代 3』 p.371に該当部分あり。
永万1年12月27日 太皇太后藤原多子御出家あらせらる、
(『史料綜覧 巻3 平安時代 3』 p.433に該当部分あり。
『日本史必携』
p.50の年表を確認すると藤原清輔が藤原多子の太皇太后宮大進で年代的に整合性が取れていることを確認できる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 『国史大辞典 12 ふ-ほ』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1991年)
- 『日本大百科全書 20 2版 ふ-へか』(小学館 1994年)
- 『日本大百科全書 14 2版 そ-たろ』(小学館 1994年)
- 『国史大辞典 8 す-たお』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1987年)
- 『日本国語大辞典 第8巻 第2版 せりか-ちゆうは』(小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2001年)
- 『史料綜覧 巻3 平安時代 3』(東京大学史料編纂所/編纂 東京大学出版会 1981年)
- 『日本史必携』(吉川弘文館編集部/編 吉川弘文館 2006年)
- キーワード
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- 藤原 清輔
- 藤原 多子
- 太皇太后
- 太皇太后宮大進
- 照会先
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- 大日本史料総合データベース(東京大学史料編纂所HP【https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/】2023/04/15最終確認)
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000332090